10/29/2013

好きなものについて考えることとこじらせ女子

好きなものについて考えるとき、それを好きじゃない人の視点を持ち込んだらきりがないし落ち込むしかないから、そんなのないふりをするのが良い。
でも、部外者の視点、とくに批判者の視点を無視できないで自ら苦しんでいるのがいわゆる「こじらせ女子」だと思っている。


たとえばCanCam系の服装の人って、当人たちは素敵だと思ってやっていて、そういう人は一定数いる。
でもなかにはCanCamファッションの人を指して、みんな同じで個性がない、そんなのおしゃれじゃないと批判する人もいる。
CanCamが好きな人はCanCamを嫌いな人の視点なんか取り込む必要はなくて、今自分が来ている服をCanCamが好きな人同士ではどう思うかそういう選択を楽しんでいれば良いし、趣味や好みというのはそういうものだと思う。
それなのに、そこにCanCamを嫌いな人にどう思われるかという視点を持ち込んで、自分を全否定しなければならなくて苦しんでいる人もいる。


CanCamをサブカルっぽいものとか森ガールとかに変えても同じことで、サブカルが好きな人がサブカル批判を気にして自分がそれを好きであることを気に病むこと、それに「こじらせ」という名前が付けられて一つのファッションになっているのではないかと考えている。

10/28/2013

ハロウィンパーティ

職場でハロウィンパーティーがあった。

この行事の担当は私で、おおよそほかの職員の言う通りにやったのだが、最終的にいろいろなことを決めるのは私だった。


ハロウィンのゲームの段取りが上手くゆかなかったところもあったけれど、お迎えに来た保護者の方に子供たちがとても楽しそうに報告しているのを見て、やって良かったなと思った。


特に、普段は寡黙な1年生の男の子が、どんなゲームをしたか、どんなお菓子がもらえたかを興奮して話しているのを聞いたとき、制作もゲームもやったかいがあったなと心から感じた。


制作した箱に関して、保護者の方々からの評判が割と良かったのも嬉しかった。

今回のやりきった感じは、今年の1月に他大学のピア・サポート・プロジェクトと自分の所属しているプロジェクトの交流会を開いたとき以来で、求めていたけれどなかなか得られなかった気持ちだった。

10/05/2013

表面的に人と付き合うということ

私は今のアルバイト先で、個々の事象に対してほんの一瞬腹が立つことはあっても、それを引きずったり嫌いになる個々人というのはない。
それは私が徳の高い人間だからではまったくなくて、今のバイトを半年で辞めようと思っていて、どんなに長くてもあと半年の関係だから深く相手に立ち入らないようにしようと心に決めているから、個人的に親しく思う感情もひいきもなく誰とも接しているためである。
でも、それを人生において同じように適用して、どうせ数年、数十年しか付き合うことはない人なのだから、だれとも表面的にしか付き合わないようにしようと考えて、人に対して嫌だと感じることなく平穏に暮らせるとしたら、それが正しいのかどうか、そうでないとしたらどうして正しくないのか、それは私にはわからない。