ラベル 国文学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 国文学 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

3/04/2014

続・こじらせ女子

磁石の中間: 好きなものについて考えることとこじらせ女子: 好きなものについて考えるとき、 それを好きじゃない人の視点を持ち込んだらきりがないし落ち込む しかないから、そんなのないふりをするのが良い。 でも、部外者の視点、とくに批判者の視点を無視できないで自ら苦しんでいるのがいわゆる「こじらせ女子」だと思っている。 たとえばCan...


以前、「こじらせ女子」ということばについての記事を書いた。
それからしばらくして、「こじらせ女子」とはつまり、他者の視点を内面化して苦しむということであると考えた。
中島敦の『山月記』に登場する李徴と同じで、他の人の視点を内面化し、勝手に気に病んでいるということで、それは一見良識があるように思えるけれどそうなのだろうか。

2/01/2014

俳句の評論の授業についての所感

今期の俳句の評論の授業では、詩歌というものがどんなものであるか少しでも伝えられていたら良いなと思う。

正確には私が詩歌をどのように考えているかで、それは結局のところ自己満足なのかもしれないけれど、入試の対策にこだわらなくて良く、かつ自分の好きにやって良い今の状況だからこそできることだから、それはそれで悪くないのだと思いたい。

「短い言葉なのに、少し言葉を変えるだけで全く意味が変わることが分かった」というコメントをくれた人も数名おり、それが理解してもらえただけでも良かった。

何より嬉しかったのは、「きちんと伝わるように言葉を使いたい」というコメントを書いていた人がいたことで、それは私が、文学も言葉も自分の伝えたいことをいかに上手く伝え、相手に理解してもらえるかだと考えていて、だから学校教育おいては特にコミュニケーションの問題に行き着くと思っているから。

私が今回の授業で伝えたかったことは3点あった。

1つめは言葉には特定のイメージがあるということ。

これは詩語(たとえば「一月」のような一見、何の変哲もなくただの記号、あるいは数字でしかないようなもの)を別の言葉と比較して気付かせようとした。

2つめは季節それ自体にも特定のイメージがあり、それが季節の言葉に反映されていること。

こちらは、実際には上手く伝えられなかったけれど、秋の季語(伝統的なものを想像させるためにわざと「季語っぽいもの」と言った)には「悲秋」のイメージが染みついていることを示した。

3つめは「切れ字」の効果で、間がゼロと同じ「無の存在をしめすもの」であることを話し、また、切れ字のない句に作り変えてもとの句とイメージがどのように変わるかを考えてもらった。


最後の授業では先日放送された夏井いつき先生の出演する「プレバト!」というバラエティ番組を見せて、これらのことを復習しようとした。

特に、普段の授業では大傑作しか紹介せず、ダメな句を知る機会がなかったから、その傑作さ加減が分からない人がほとんどだと思うけれど、この番組で完全にダメな句をいくつか見られて、また、それをどのように改めることができるのかを見られて、言葉の力や「切れ」がある句とない句の違いというのが分かってもらえたのではないだろうか。


また、この授業を通して自分自身でも大きな発見があり、それは俳句の成立についてだった。

2回に1回くらい書いてもらっているコメントシートに、なんで俳句なんか作るのだ(俳句なんて作る意味がない)と書いてきた子がいて、私がそれで考えた。

自分でも俳句を作る意味は疑問に思っていたのだけど、今回の教材研究の過程で気づいたのは、伝統に基づく和歌・連歌では叙述することのできないものを俳句(連句や連句の発句)では表現することができるということだった。

このことを考えると、俳句とは自分の思いを強く反映して世界を切り取るための手段であり、俳句の発明は誰もが気負いなく、世界を切り取ることができる便利で、しかし奥が深い道具だったのだろうと思う。


たった1カ月間の授業で、しかも勉強に興味がない人たちばかりのクラスでの授業でどのくらい俳句に興味を持ってもらえたかは分からないし、自分自身でも授業自体はあまり面白さを伝えられるものではなかったかもしれないと思っている。

でも、いつか何かのきっかけで自分から俳句に興味を持つ人がいて、そのときに今回の授業を少しでも思い出してくれて、詩歌がどういうものであるかを改めて考えてくれたらとても良い仕事ができたことになると思う。

12/25/2013

「かぐや姫の物語」についての覚え書き(内容についての記述あり)

今年1年、1ヶ月に2本ずつくらいは映画館で映画を見たと思うが、「かぐや姫の物語」は今年一番と言って良いくらい好きな映画だった。
映像がきれいなところ、ストーリー展開や音楽も全体的に好きで、細かな部分もとても私の好きであるということにぴったり当てはまった。

11/04/2013

文学フリマ 所感

初めて文フリに行ってきた。

・凝った表紙や変わった形の本は目につきやすい。

・凝った装丁の本は買いたくなる。

・大学のサークルなどでない限り、SNSなどで十分に宣伝をしておくことが必要だと思った。売上でもとをとることはできないとしても、あまり買いに来てくれる人がいないのは寂しい。

・冊子以外のものを売っていると立ち寄りやすい。

・九ポ堂というところの活版印刷で架空の職業を印刷したハガキは、クラフトエヴィング商會の『じつは、わたくしこういうものです』に似た雰囲気があり、もっとたくさん購入すれば良かったと思った。(通販でも購入できるが……)

・ショージサキさんの「秘密基地女子」は装丁が素敵。

・かわいい絵本なんかがあったら良かったのにと思ったけれど見つけられなかった。

3/17/2013

短歌の添削

Twitterで俵万智さんが短歌を添削してくださるということなので一首投稿した。

短歌と私、というといつも思い出すのが中学生の選択国語(普通の公立中学だったけれど国語や数学、設定された好きな科目から選べる授業が週に数コマあった)の授業だった。
その授業では図書室で短歌を作るというのがあって、

  三十一文字いくらたっても浮かばない私の脳は冬眠中

という歌を作って散々先生にダメ出しされた結果、

  三十一文字いくらたっても浮かばないすごいなと思う俵万智さん

という歌に落ち着いた。

どうして最初の歌はダメで、あとのは良いのかを最近ずっと考えていて、
1. 前者は「いくらたっても浮かばない」「冬眠中」というのが冗長。31文字も使わないで表すことができてしまう。同じことを2回言っている。
2. 後者は少なくとも俵万智を読んでいるような読書好きな人物が想像できる。
というような理由だろうということに気づいた。

この中学生のとき以来、8年くらいずっと歌を詠むということはしていなかったのだけれど、ちょうど1年前に初心者向けの歌会に参加させてもらったことがきっかけで短歌を少し詠み始めた。
だからこういう個人的な理由で、俵万智さんに短歌の添削をしていただけるなんてありがたく思うと同時に、素晴らしい巡り合わせだと感じる。


3/07/2013

NHK短歌 2月3週目

NHK短歌2月3週目でとても良いなと思った部分。
新聞の短歌の投稿欄に載っている歌などでもそうだけれど、気になった歌は書いておかないとすぐに忘れてしまってあとか探そうとしてもまず探せない。

春浅き
大堰の水に
漕ぎ出だし
三人称にて
未来を語る 
栗木京子 
という30年くらい前、栗木さんが学生だった頃の歌に対する返歌が、
大堰川
凍て雪とけて
たちのぼる
よきことばあり
かの日よりきみに 
坂井修一
だった。
この完璧に救われる感じ、光に満ちあふれている感じが素晴らしいと思う。
栗木さんの歌だって十分希望の歌で、希望度100(と不安が少し)なのに、坂井さんの歌は歳月をふまえてのそれ以上の希望と、さらに肯定の歌だ。

あと、栗木さんも坂井さんも古典に学ぶことを推奨されていたのは私としてはとても良かった。
擬音語などかえって斬新なものもあるということ。
入力と出力とでは出力の方が自分の中だけでできる分、楽しようと思えばいくらでも楽できるし簡単で、だからこそ、古典とか先人に学ぶことって必要だし、自分の中だけに留まらない、でも自分だからできる表現をするために他者を考えることもまた必要だと思う。

3/05/2013

2013/03/05 歳月の哀しさ

国立国会図書館へ行く。
カードを作っただけでそのまま国立劇場へ。

3/04/2013

2013/03/03 孤独じゃない

昨日同様、国際東京文芸フェスティバルへ行った。
昨日のブルーな気分を抱えたまま、浦沢直樹とジュノ・ディアスの対談に参加することになりそうだったけれど、会場である大学へ歩いて向かう途中で友人からメールが来て、会場で会えそうだということになった。
結局、その友人と朝のプログラムからお昼過ぎのプログラムまで一緒に参加して、つっこみ入れたりいろいろ話したりできて、文芸フェス自体ももっと楽しめたし、ブルーな気分もその人に会った時点で解消されたから、非常に救われる思いだった。
文芸フェスのことはあとでちゃんと書いておきたい。
毎回書いていることかもしれないけれど、大学生になって改善されたけれど、もともと私は人付き合いを極端に避けてきてしまったから上手く他者と付き合えないことがあって、だからこうやって友人が声をかけてくれということはそれだけで救われるし、絶対に身勝手な態度を取ってはいけないと思う。
いつも冷静でありたい。

それから最後の通学定期を購入し、H ZETT Mのライブへ行く。
実際に見る、聴くということがこんなに気持ちの良いことなんだ、と思った。
何というか、音の振動や空気感を実際に感じることって素晴らしい体験だ。
それから毎回思うけれど、同じものを見て何らかの感情、多くの場合が共感できる感情、それを抱いているという会場の一体感。
それは文芸フェスでも同じこと。


2/18/2013

世田谷文学館 「帰ってきた寺山修司」展

世田谷文学館の「帰ってきた寺山修司」展に行ってきた。
昨年あたりから寺山に縁があったのでぜひ行きたいと思っていた。

「去年くらいまで寺山修司って何の人が知らなかった!」と誰かに言たようにも思うけれど、このブログの記事で「田園に死す」について2年くらい前に書いたから、少なくとも去年まで知らなかったってことはないことに気付いた。
何でそんな前の記事を覚えているかというと、このブログのアクセス数がダントツで多いのがその記事だから。
「田園に死す 迷彩」とかで検索してこのブログにたどり着くようだが、読むような価値のあることは書いていないので悪いなあと思う。

1年だろうと3年だろうと大して変わらないとしても、最近、寺山を知ったことには間違いなくて、高校生くらいのときに出会っていたらその言葉の鋭さにハマった、というか心酔しただろうと思った。
死後なおそうなんだから、当時の家出少年少女が教祖と仰いだというのも納得できる。
私の場合は家で少女あるいは出家(したくない)少女だったけど。

寺山の歌って、どうして強い言葉強い言葉強い言葉強い言葉なのに嫌みがないのだろう。
思いが強くて言葉が強い歌は冷めちゃうと思っているけれど、寺山の場合はそれがない。
大前提として、作歌の姿勢として「完璧に格好良い気取り」があるから、読者が変に斜に構えず歌に向き合えるのだろうか。

文学館では試験の答案(の裏面に書かれた詩)まで展示されていた。
それから高校生の頃の寺山の俳句が掲載された雑誌とか。
寺山の俳句が佳作だったときに一席だった人は、その後の寺山の活躍を知ってどう思っているんだろう。

寺山が出した手紙もたくさん展示されていて、すべてをじっくり見ようとしたら2時間以上はかかってしまったと思う。
それから宛名の人物がどんな人なのか知ってからまた見たらもっと面白いだろうなと思った。
今回は、手紙をあまりじっくり見られなかったので、できればまた行きたい。

館内で放送されている映像の中で九條今日子さんの「大量の蔵書がしまえるアパートを借りた」というのを借りて、誰かが、「寺山は書を捨てよと言ったが、寺山の文学(?)は多くの読書経験に裏打ちされている」みたいなことを書いていたのを思い出した。
というか九條映子さんと九條今日子さんって同一人物だったんだ。

子ども向けの解説もあったところや、空いていてじっくり見られたところもとても良い。
最寄り駅の芦花公園駅には京王線の各駅停車に乗らないといけないのだが、そこまで本数が多くないので注意。

世田谷文学館 HP http://www.setabun.or.jp/


4/07/2012

りがりがりがりがり

李賀という中唐の詩人の漢詩が面白い。
漢詩を面白いと思ったことなんて、演習で自分が担当したものくらいだったのに。
李賀の詩って、場面をイメージすると色彩が強烈で、異世界のものがたくさん登場する。

3/28/2012

牡丹

牡丹
初夏の季語。

牡丹の芽
春の季語。

寒牡丹
冬の季語。

『図説俳句大歳時記 夏』(角川書店・1973)より。

3/18/2012

坂口安吾の『堕落論』 ―なんとかみたいって言う必要もないけれど

坂口安吾の『堕落論』を角川文庫版で読んだ。
昨年の12月24日に買った本。

小林秀雄や織田作之助についての文章なんかは、今で言えば、高橋源一郎みたいな感じかなと思った。

予想外に気に入ったので、後日、ちゃんと感想を書いておきたい。

3/16/2012

吉本隆明 ご逝去

吉本隆明というと『悪人正機』という本で出会った。
たしか、無人島に1冊だけ持って行くなら、『新編国歌大観』と書いてあったと思う。
(違う人だったらごめんなさい。)
毎日続けるとかけ算、一日でも空けると引き算と書いていたのもこの本だった。
亡くなったとは、悲しい。

1/24/2012

#平安時代のTwitterにありがちなこと #江戸時代のTwitterにありがちなこと

以前Twitterをやっていたときの、渾身のツイートだったのにとくにウケが良くなかったもの(一部改変)。

元カレの弟くんが@飛ばしてきたから、思わせぶりなリプ返しちゃった♡
#平安時代のTwitterにありがちなこと

西鶴が多ツイートすぎてTL追えないんだけど。朝から晩までいつ見てもTwitterにいるし、1日2万ツイート以上とかまじハイジン
#江戸時代のTwitterにありがちなこと


以下は、ががっかりな解説。


1/20/2012

研究者

会社という競争社会の中で生きてゆけそうにないから研究者になりたいっていう子がいるけれど、私には、他の人が私の言いたいことを言う前に一刻も早く論文を出さなきゃ、漏れなく他の人の最新の論文も研究史も見て頭にいれとかなきゃ、あの古書店の本は今にも他の人に買われてしまうかもしれない、あの先生が死んでくれれば次の注釈は私が…、研究者の世界は、そういうことをいつも気にしていないといけない苛酷な競争社会に見える。

1/10/2012

Five Women Who Loved Love

西鶴の『好色五人女』の英訳が、思った以上に読まれているよう。
近いうちにちゃんと読んでみたい。

『好色一代男』のタイトルは “The Life Of An Amorous Man” で、『好色一代女』のタイトルは “The Life Of An Amorous Woman” なのに対して、『好色五人女』の英訳のタイトルは“Five Women Who Loved Love” であるのが良い感じ。

http://books.google.co.jp/books/about/Five_women_who_loved_love.html?hl=ja&id=tKiqCZFMxn0C

 

1/05/2012

團十郎が出る!

『花見車』の其角さん
俳諧は上手だけど、お酒を飲みすぎるとわがままになるし、裸で駆け回ろうとしたこともある。
其角お茶目だ。

そういえば、谷崎潤一郎の『蓼食う虫』に「宝井其角のような出で立ち」というような表現があった気がする。
其角ってそんなに一般的に知られていたのだろうか。

1/04/2012

やぶれかぶれ

年末に、『杏っ子』を読んで以来、室生犀星が好きで好きで。
こんなふうに、実際に恋することができないものをどうしようもなく好きになったのは5年ぶりくらい。
室生さんの本は全部読みたいし、室生さんのことをもっと知りたいし、石川にも行ってみたい。
まずは田端文士村。
室生作品の好きなところをあえて挙げるなら人物の造形。
作品中に登場する作者の分身(それが実際の作者を写したものではないとしても)が作者自身をまでをも好きにならせる。

室生は原則的に「むろお」と読むことに統一されたそうです。