1/12/2014

恋人へ送信されなかったメールとそのほか

そんなに疲れてはいないはずだったのに、相変わらず帰ってきていつのまにか眠ってしまった。
早くリズムを取り戻さないと、と思う。

最近、なんとなく睡眠不足でネガティブな気持ちで、あらゆる人を嫌いになりそうで余計に悲しい。

自分がいわゆる「メンヘラ体質」であるということを恋人に打ち明けて良いのか、それは自然と悟ってもらえば良いだけのことなのではないかと悩む。
そして6月頃の鬱病のせいで慢性的に軽い憂鬱感に襲われてどうしようもなくなるようになってしまったのではないか、あるいは自分がただ甘いだけなのではないか、もうどうした良いのか分からない。

そして精神的な病にかかりやすい自分を理解してもらえないなら、そのせいでならフラれても良いと思っているということに対しても嫌だと思う。

私の身の回りには精神を病んでいる人が極端に多く、自分自身はそうではないから、精神を病んでいる人を引き付けやすいたちなのだと思っていた。
でもそれは違っていて、ただ私に精神的に病んでしまいやすい部分があり、そこを敏感に察知して引き付けられてしまう人たちがいるのだと気づいてしまった。
この思考ですらもただネガティブがこじつけであることには気づいているのだけれど。

孤立感

他者から愛されていると感じ、相手が私のことを理解している、お互いに分かり合えると強く思っていれば思っているほど私は孤立感にとらわれる。

1/03/2014

可視的ラッキーガール

初詣のおみくじで大吉を引いた。
もちろん大吉というだけでも嬉しいのだけれど、何が出ると思うか尋ねられ、私は大吉と答え、それで本当に大吉だったことが嬉しい。
我ながら、なんと言うべきか、男前だと思う。
おみくじなんてどうでも良いと思ってなぜか必要以上に冷めてしまうのだけれど、今日は思いのほか嬉しい気持ちになった。
ちなみに一緒に行った人は吉だった。

昨年の11月に同じ人と浅草寺へ行った。
おみくじが辛口なことで有名な浅草寺でも、私は大吉で一緒に行った人は半吉だった。
その人の前でまたラッキーガールぶりを発揮できたこともとても嬉しい。
自分自身は本当に運が良いと思っていて、それは別におみくじとか福引きで良いものが引けるという意味ではなく、人生のここぞというときにとてもついているということなのだけれど、ともかくそれを証明するのは難しいので、おみくじによって可視化できたのはとても良いことだと思う。

そして良くも悪くも波のあるのが私が大吉で、いつも着々と平坦の一緒に行った人が吉というのも私たちらしくてとても良い。

これはとっても幸せな気持ちになれる、額に入れて飾っておきたいエピソードだと思っている。

1/02/2014

男女を愛すること

異性を愛する自分と同性を愛する自分は、教職に就いている自分とそうでない自分のようにまさしく対称的であることに気づいた。
以前は、異性にも同性にも"同様に"恋してしまうのが自分であると思っていた。

別の言い方をすれば、私にとっての異性愛は理性で、同性愛は感情である。
私は絶対に子どもを産み育てたいから、同性である女性と一生お付き合いすることはできなくて、自分の年齢を鑑みてももう遊びで交際する猶予はないから、結婚を含めた社会的な秩序のもとで私は男性とお付き合しないと自分の望みが叶わない。
そして、そういう、結婚などを含めた理性的な(悪く言えば打算的な、でも愛し合うことの究極の形が結婚というわけではなくて、結婚には多かれ少なかれ打算が必要だから仕方のないこと)「恋愛」がいけないとか、美しくないとか、そんなことを言いたいわけでは全くない。

一方、同性愛に関して言えば、恋人の女性になら首絞められたい(決して死にたいわけではない)と思っているけれど、そういうのも感情や嗜好という理性や社会性の反対にあるものだと思う。
もちろん、マゾヒスティックな欲望を満たすために女性とお付き合いしたいわけではないし、男性によっては満たされない様々な種類の欲求を満たすことができるとも思っている。
それを打算的だと呼ぶ人もあるかもしれない。
また女性と交際する場合にとても良いと思うのは、例えば「プロポーズは男性から」「男性が後ろから抱きしめるのはアリだけどその逆はない」というような世間一般のいわゆる「恋愛のルール」に縛られる必要がないことで、私は別に異性と交際するにあたってもそれをうっとうしいと思っているわけではないけれど、自分のしていることがルールに則っているのかどうかくらいは気にしていて、それはあまりにも優等生らしくて気詰まりだとたびたび感じる。

さて話は最初に戻って、多分に良識が求められる教職と、そうでない無職あるいは別の仕事、社会的、世間的にはそうであるそれらの属性のうち、前者は誉められ、後者は排除される。
でも私にとってはたやすく相互に入れ替わるものである。

12/25/2013

正しい暮らし

正しいということに弱い。

まず「弱い」と感じる心というのは憧れとは違っていて、それにはかないません、ひれ伏します、と思う気持ちに近い。

「正しい」ということ、それがどんなことかというと、道徳的、倫理的に正しいというのとは違う。
道徳や倫理のような、これが正しいのですと誰かが定めたものをきちんと正しく守こととは異なっていて、誰が決めたでもない、そのもの自体が私にとって絶対的に正しいと思えるものが正しいものである。

たとえば、サカナクションの「アルクアラウンド」という曲の中に
正しく僕を揺らす
正しい君のあの話
正しく君と揺れる
何かを確かめて
とあり、その「正しい」「正しく」に弱い。

以前とても好きだったけれど今ではもう関係が戻ることもない人がおり、その人はどちらかというと破天荒な人だったけれど、私にとって絶対的に正しいと思わされてしまう人だった。

「正しい」は盲目的に宗教を信じることとも似ている。
「正しい」というものは神様のようでもあり、自分の気持ちそのもののようにも思える。

「かぐや姫の物語」についての覚え書き(内容についての記述あり)

今年1年、1ヶ月に2本ずつくらいは映画館で映画を見たと思うが、「かぐや姫の物語」は今年一番と言って良いくらい好きな映画だった。
映像がきれいなところ、ストーリー展開や音楽も全体的に好きで、細かな部分もとても私の好きであるということにぴったり当てはまった。

11/04/2013

文学フリマ 所感

初めて文フリに行ってきた。

・凝った表紙や変わった形の本は目につきやすい。

・凝った装丁の本は買いたくなる。

・大学のサークルなどでない限り、SNSなどで十分に宣伝をしておくことが必要だと思った。売上でもとをとることはできないとしても、あまり買いに来てくれる人がいないのは寂しい。

・冊子以外のものを売っていると立ち寄りやすい。

・九ポ堂というところの活版印刷で架空の職業を印刷したハガキは、クラフトエヴィング商會の『じつは、わたくしこういうものです』に似た雰囲気があり、もっとたくさん購入すれば良かったと思った。(通販でも購入できるが……)

・ショージサキさんの「秘密基地女子」は装丁が素敵。

・かわいい絵本なんかがあったら良かったのにと思ったけれど見つけられなかった。