11/09/2014

勉強は逃げである

高校時代、勉強ばかりしていた。
今考えれば、たった10分間のバスの中でも電車の中でも、食事中も透明なテーブルクロスの下に暗記事項のメモを入れて、まさに四六時中受験勉強をしていた。
どうしても入りたい大学があるわけでもなくて、ただ勉強しないと中学時代のように希望校に入れない、精神病などで急に受験勉強ができなくなるかもしれないからともかくできるときにやっておかないといけない、そういうネガティブな動機付けによるものだった。

勉強することは私にとって現実から逃げることであったのだと今は思う。
勉強をしていれば、褒められることはあっても怒られることはなかった。
夜遅くまで起きて勉強しているから、朝、母親に起こしてもらうのは当たり前だったし、家の手伝いだってやらなくて良かった。
テレビゲームを10時間もしていたら怒られるけれど、勉強なら何時間しても怒られない。
勉強によってやりたくないことから逃れていて、それは当然のことだと思っていた。

勉強をすることで人とのコミュニケーションからも避けていた。
人と接するのが上手く行かなくて自分が傷つくのが嫌で、なるべくクラスメイトなんかとも接触しないようにしていて、休み時間も勉強するか本を読むかしていた。
昼ご飯の時間も、委員会室でごはんを食べていた1、2年生のころはともかく、3年生のころはひとりで食べていて、見かねた優しいグループが誘ってくれてしばらく一緒に食べていたのにそれもいつのまにかやめて、さっさとひとりでごはんを食べて昼休みの残り時間は自習室へ行くようになっていた。
自習室でできた友だちもいたから、完全にコミュニケーションが出来ないというわけではなかったのだろうが、それにしても勉強を口実にあらゆる面倒だと思われることを回避しようとしていた。
高校3年生の文化祭のときも食堂で勉強していた記憶があり、それは受験が近かったからであるけれど、もしかしたら誰かに一緒にまわろうってことを言う勇気がなくて、とりあえず勉強していたのかもしれない。

高校時代に後悔しているのは、勉強を理由に本当に入りたい部活に入れなかったこととか、友だちと遊びに行けなかったこととか、そういういわゆる文字通りの「充実した高校生活」を送れなかったことよりも、勉強を嫌なことや面倒なことから逃げるために使ってしまったことだった。
そしてその勉強というものは今、自分を助けてくれるものだからこそなおさら、もっとポジティブなものとして自分の中に位置づけられたら本当に良かったのになあと思う。

10/13/2014

真面目な大人の小論文指導

大学生のときに、論理的な文章の書き方についてのオンデマンド講義を受けていた。
1年生の前期前半に受けたその講義で習ったことはとても役に立っていて、あれがなかったら大学生活の中で書いたレポートは全体的に評価が下がっていただろうと思う。
講義各回で一つずつ文章の書き方を学び、それを使って文章を書いて、「ライティング・センター」という学内の施設で訓練を受けた大学院生に添削してもらうという授業だった。
必ずしも全ての文章が型どおりに書けていれば良いというわけではないが、意味の通る文章が書けない人も少なからずおり、そういう人のためにも、せめて高校の段階で書き方の勉強ができれば良いのにと思う。

小論文を書くことは文章を書くだけでなく、漢字を正しく書いたり、語句を実際の文章の中で使ったりする勉強にもなるし、物事について深く考え、自分自身を見つめ直すことにもなる。
さらに、小論文を書くためにアンテナを張ることにも繋がるし、それによって自分の好きなことを見つけることもできると思う。

私が指導していた生徒は、添削を繰り返しているうちに1ヶ月弱で小論文を書く力が大きく伸びた。
それは入試が近いという焦りと本人のやる気、集中力があったこそのことではあるが、それでも、私の予想以上の進歩だった。
小論文の勉強をしなければその生徒はきっとこの先もずっと上手く自分の考えを伝えられない文章を書くことになっていたのだろうと思うし、そのような生徒はたくさんいるのだろうなあと思う。
もし私が現代文を担当することになって、自由にカリキュラムを組めるのであれば、なるべく書くための授業をしたいし、進学補習なんかではきっとこの先、小論文の授業をすることがあるだろうから、今のうちに良い指導方法を考えておきたい。

10/02/2014

子どもがほしい

子どもがほしいなあと切に思う。
3人くらいほしい。
そう思うのはおそらく、自分が顧問をしている部活動の生徒のことが本当に好きで、そういう子たちが頑張っているのを見るにつけてもわくわくして、胸が熱くなるってこういうことなんだと思えるからだ。

ただ、もし子どもができてもあまり過保護に育てたくはないし、ついつい目をかけすぎてしまいそうだから気をつけなければと思う。
あとは私の思い通りにならなくても、自然に任せること。

子どもには一生懸命頑張ることの大切さは教えたい。
それから同性からはもちろん、異性にも好かれるようにしなさいと言いたい。

男子も女子も本当に愛しているっていうことを口には出さないで伝えたい。
あなたからこんなに元気をもらっている人がいるんだということに気づいてもらいたい。

思考の限度 想像の限度

人は、自分の知っている範囲内でしかものを考えたり想像したりすることができない。

10/01/2014

進路で悩んでいた自分と今の高校生と

今の仕事で担当している分掌が進路なのは本当に良かったと思う。

現在の勤務校は教育困難校で、自分が高校生だったころには想像できないような生徒の無気力さ、諦め、授業中のうるささ、そういうものがもううんざりで、可もなく不可もなく仕事をこなしていれば良いし、別に誰からも文句を言われることもないし、仕事は仕事と割り切っていればいいんだと考えることが多かった。
現に、今もそう思うことは少なからずある。
そもそも教員というのは私にとってとても就きやすい職業で、だから教員をすることにしたのだ。
スタンスとしては「ほかの仕事をしても良いんだけれど、一番やりやすいから教員をやっているし、ほかの仕事があればそれでもまったくかまわない」というとても低い志のもとで再び教職に就いた。
別に、どうしても夢を諦めたくないとか、誰か(あるいは最初の勤務校)を見返したいとかそういう気持ちではなかった。

でも進路指導の仕事をしていると、普段、それほど学ぶことに熱心とは思えない生徒が進んで指導を頼みに来る。
そういった生徒はとても真剣で私自信も真面目に、真摯に指導しようと思える。
加えて、普段生徒をほめることってあまりなくて、それどころか怒っていることが多いので、生徒を心から褒めたり励ましたりすることができるのがとても嬉しくて、だから良いんだと思う。

思えば、自分の高校時代は毎日辛くて辛くてたまらず、それこそ仕事を辞めた前後よりも毎日死にたいと思ってばかりいて、そのとき一番悩んでいたのは進路のことだった。
私は四年制大学へ行くのが当然だと思ってこそいたものの、進路に悩む気持ちというのは誰しも多かれ少なかれ似通っていて、だからそういう点で少しでも高校生を救えたらと思っていたのだった。

もし進路指導部ではなかったら、学校を来訪するお客様の応対をして、いろいろな企業や学校のことを知ることもできなかっただろうし、こうして意欲のある生徒に気づくこともできなかった。
そうしたらきっといつまでも(言い方は悪いけれど)サラリーマン的に仕事をこなしていただけだったと思うし、本採用を目指そうとは思えなかったと思う。

分掌そうだし、部活動も私が好ましいと感じるタイプの生徒が多い部活で、自分も初心者なのに一緒にやらせてもらえたこと、私が今の勤務校に着任したときの教科の主任の先生が素晴らしい方だったこと、選抜メンバーの学年団に入れて、中でも本当に尊敬できる英語の先生が面倒を見てくださったこと、そういういろいろな幸運が重なって、私はやっぱり教員って自分に向いている面もあるなと思えるし、「やってて良かった」と感じられる機会の多い仕事だと思う。
だから、今年はもうどうなるか分からないけれど、来年は絶対、本採用を目指す。

8/03/2014

格好良すぎて言葉にできない

私が顧問をしている部活の部員たちは私にとって弟や妹なのか、あるいは息子、娘みたいなものなのか考えることがある。
部員はただの部員でなければならないわけであるのかもしれないけれども、1週間のうちほぼ毎日顔を合わせることもあり、接する時間も長くて、どうしても部活の生徒はほかの生徒と明確に違っていて特別な気持ちを抱いてしまう。
私が過剰に部員を意識してしまうように、たぶん部員も私を特別に意識しているなあと思うこともある。

そういう部員との関係というか距離感というか、なぜか言葉にしたいのに上手く言葉にできないことがあって、それは何かというとおそらく部長への思いなのではないかと思う。

部長がとにかく格好良い。

大雑把で素人の私でも分かるくらいその大雑把さがプレーにも表れていて(とはいえそこそこ上手なのだけれど)、でもその雑さこそが部員への指示の的確さにつながっているんだろうなあと思う。
私は何でも正確にやろうとして細かいことまで気を遣いすぎて、かえって複雑になってしまうことが多い。
でも、部長は本当に重要な大枠だけは押さえていて、あとのことはどうでも良いって思っていて、だから指示が上手いのだろう。
もちろん頭も悪くない、というか良い。
それからきちんとした後輩たちのことが大好きで、そういう後輩からも慕われている。
一方、同級生たちからは馬鹿だと思われているけれど、それは変に威張るようなこともないということで、だから上手く行っているのだろうと思う。
あとはとにかく部長として大切なのは声の大きさだと思うが、普段から特別目立って声が大きくてうるさい。

彼自身がいつもどんなときでもきちんとしているかというとそんなこともなくて、私の話をちゃんと聞いてくれなかったり、何回同じことを言ってもわからなかったり、服装がだらしなかったり、どうしょもないなと思うことも多々あった。
でも部員の悪いところは注意して、自分でも締めるべきところは締めて、顧問がいなかったときでももういいやって思って楽な方に逃げずに練習を続けてきたっていうのは本当にすごいことだし、私にはなかなかできないなっていつも考えている。

部長は馬鹿だけれど愚かではない。
部長だけでなく、ほかの部員もそれぞれ輝くところがたくさんあって、だから私はこの部活の顧問になれて本当に幸せだった。
これくらい素晴らしい高校生にこれから出会えることがあるのだろうか、このくらい時めくことがあるのだろうかと思うと不安にもなり、一方では今が一番幸せで、私の思い出の中でも最も輝いているんじゃないかとも感じ、そういう気持ちを抱けるような経験が出来たことを幸運だとも思う。
これでも上手く言いたいことを表現できなくて、私の言いたいことって結局何なのだろう。

5/25/2014

2014/05/24 荷物を預けて

久しぶりの部活だった。
たまにあることだけれど、生徒にきちんと時間を守ったりやるべきことをやらせたりすることを怠ってしまうことがある。
それは生徒がたまには遅刻してもいいやと考えるのと同じことであるから、自分は遅刻しないとしても、遅刻しているのと同じことじゃないかと思う。
4月の後半から私は部活を見ていただけで、ほとんどやっていなかったから、一緒にやるのは何だかんだ言っても1ヶ月ぶりだった。
最上級生はあと2ヶ月弱で引退で、私がいちばん目をかけているのが彼らだから、私としてはとても寂しい。
腹が立つことも多いけれど、結局それは自分が悪くて、もっと上手くコミュニケーションを取ることができれば良いのにと思う。
試験のこととも部活のことも、もっとほめても嘘じゃなかったのにと感じる。

午後は授業の準備をしていて、なかなか終わらなくて結局、4時過ぎまで残っていた。

それから10年前に解散したバンドのコピーバンドのライブへ行く。
渋谷のチェルシーホテルということろで、道に迷って迷って結局7時半から入った。

帰りは快速アーバンに乗りたかったのにギリギリ逃して悔しくて次の電車のグリーン車に乗る。
初めてだ。
タクシーに乗るくらいの感覚で乗れるから、もっと使っても大丈夫なのではないかとも思う。

授業の準備も始めるときりがないし、どうせなら自分が面白いと思うことを楽にやるのが良いんじゃないかと思う。