新聞の短歌の投稿欄に載っている歌などでもそうだけれど、気になった歌は書いておかないとすぐに忘れてしまってあとか探そうとしてもまず探せない。
春浅き
大堰の水に
漕ぎ出だし
三人称にて
未来を語る
栗木京子という30年くらい前、栗木さんが学生だった頃の歌に対する返歌が、
大堰川
凍て雪とけて
たちのぼる
よきことばあり
かの日よりきみに
坂井修一だった。
この完璧に救われる感じ、光に満ちあふれている感じが素晴らしいと思う。
栗木さんの歌だって十分希望の歌で、希望度100(と不安が少し)なのに、坂井さんの歌は歳月をふまえてのそれ以上の希望と、さらに肯定の歌だ。
あと、栗木さんも坂井さんも古典に学ぶことを推奨されていたのは私としてはとても良かった。
擬音語などかえって斬新なものもあるということ。
入力と出力とでは出力の方が自分の中だけでできる分、楽しようと思えばいくらでも楽できるし簡単で、だからこそ、古典とか先人に学ぶことって必要だし、自分の中だけに留まらない、でも自分だからできる表現をするために他者を考えることもまた必要だと思う。
ここからは完全に私事で……
私は半年くらい前にこの番組を見始めたばかりで、それはある人が紹介してくれたからだった。
その人は坂井さんの回が好きみたいだけれど、そういう点をひいき目に見なくても、たしかに3名の歌人のうち(4週目は私は最近見ていない)坂井さんの回は毎回、採られる歌もそのほかの部分もすごく興味を持って見られる部分が多くて面白い。
NHK短歌のことだけではないけれど、その人はものごとの切り取り方というか、どこからどこまでが良いかとかどちらが良いかを決めるのが上手なのだと思う。
その人と疎遠になってしまった私は切り取り線の外に出てしまったということだからたぶん良くなかった方の人。
自分がどのようであるかもこの番組のこともどうでも良いのだけれど、ともかく遠ざかってしまったということが口では言えないくらい寂しい。
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