5/17/2014

もしも私に息子がいたら

もしも私に息子がいたら絶対に教えておきたいことがひとつあって、それは異性にモテない男は何をやってもダメだってことだ。

一番理解できないものは同世代の異性で、それは裏を返せば、同世代の異性と上手く付き合えるということはとてもコミュニケーション能力が高いということになる。
いわゆる「チャラい」というのは結局はコミュニケーション能力の高さに依るところが多くて、そこにチャラチャラした外見が加わったものであるし。

それではどうすればモテるかというと、まず第一に相手を好きになることだ。
それで相手の個人的ないろいろなことを忘れないで折に触れて話題にして、しつこくならない程度に気に掛ける。
結局それは同世代の異性だけでなく、ほかの人に対しても行った方がよいコミュニケーションの方法でもあり、同世代の異性に対してそれが適切にできればかなり応用が利くと思う。

たとえば女の子を振り向かせたかったら、「可愛いね」って言うんじゃなくて「髪型可愛いね」とか持ち物を褒めるとか、話を聞いてあげるとか、映画に誘って断られたらカフェに誘うとか、そういうテクニックも大事なのだけれど、それはまた別の話。

4/23/2014

最後に泣くこと

私が顧問をしている部活の大会が明後日ある。
明後日は自分の研修があるから引率することができなくて、それは本当に残念で、だから余計にドキドキするのかもしれない。
仕事なのだから、残念とかそういう問題ではないけれど。
土曜日にどんな顔をして生徒が来るのか、私はどんな顔をしていれば良いのか、全く分からないし考えてもどうすることもできない。
覇気がなくて弱気なことばかり言っていて、それも何とか直させたいところだけれどいまさら仕方ない。
それでも心の中では勝ちたいと思っているだろうし、勝つのが当然と思っている生徒もいるようだから、変なところで格好つけないで何回か勝って、負けたとき、最後に泣けるプレーをしてほしい。
どうしてかわからないけれど、とにかく私は自分の部活の生徒を心から愛してる。

3/30/2014

夢が夢でも張る予防線

自分のmixi日記を本の形に印刷してみて、ですます調だったりだである調だったり、内容も多方面に向けて書いているのでめちゃくちゃでとにかく愛嬌をふりまいて予防線を張っていて酷い。
それでもところどころ自分の今の文章や考え方と似通っているところがあるのが気持ち悪いし愛おしいし、それを愛おしいって思う気持ちも気持ち悪いけれど好きだ。



今でこそmixiは(おそらく)年齢制限もなく誰でも登録でき、mixi内のページが検索にも引っかかるオープンなものになったが、私が大学1年生のころ、大学に入学したころはmixiに登録するためには既にmixiに入会している友人に「招待」してもらわなければならなかった。

中学・高校とあまり人と関わらないように、深く関わって自分が傷つくことのないようにと思いながら生活して、でも大学ではなるべく人に協力しよう、つながるということに、と思ったから登録することにした。まだ眼鏡を掛けていて、アイラインを引く人は信用できないと思っていて、服だって母に選んでもらっていた私でもそのくらいは考えた。

それで、大学のクラスのリーダー的存在の上野くんに招待してもらって、それから毎日のようにmixiをチェックして、自分のことがどこかに書かれていないか、直接的にも間接的にも、どこかに自分が登場しているのではないかと探した。自分が日記を書いたりだれかの日記にコメントをしたりしたら、そこに返信がないかどうか、逐一パソコンを開いて確認した。それほど執着していたのに、あるとき、そうはいっても特別なきっかけがあったわけではないと思うけれど、私はぱったりとmixiを見るのをやめた。各方面に愛嬌をふりまきながら書く日記にも愛想が尽き始めたといえばまだ聞こえが良いが、単に、飽きてしまっただけなのだろうと思う。

3/27/2014

執着とは愛することであり憎むこと

恋人とは別れることにした。
好きでも嫌いでもない人とはやっぱり付き合えない。
別れたら私はめちゃくちゃになってしまうのではないかと思っていたがそんなことはなく、驚くくらい何とも思わない。
ずっと会えなくなるということを惜しいと思えなくて、だからやはり別れることにして良かったと思う。
この先誰にも恋せず、結婚できなかったら今のことを後悔するのだろうと思うけれど致し方ない。
だって本当に、好きだという気持ちを持てないのだから。

3/24/2014

心が羽みたい

私を愛してくれる恋人と別れることに決めたのに、全然悲しくもなく、悔しくもない私は薄情なのだろうか。
自分が心変わりしたことを寂しくは思うけれど、それは好きだった本や何かを嫌いになってしまうこと、その事柄自体を寂しく思うのと同じことだから、恋人との別れを寂しく思っているのとは違う。

これからずっと会えなくてもいいし、たぶん会ったとしてもそんなに気まずくはない。
お互いに好きだったはずなのに、それだけのつながりだったのだと思うと、それもまた寂しい。

私にとって彼は、たまに会って懐かしむのにはちょうど良いかもしれないけれど、恋人としてずっとつながっていることには耐えられない人だったのかもしれない。

このところ、いつもいつも、朝、歩きながら恋人といてもあまり楽しくも安心もしなくなってしまったことについて考えていた。
だからそれがなくなったおかげで心が軽くて良い気分だ。

3/17/2014

プレーンでフラットな恋人

恋人と1ヶ月ぶりに会った。
それまでは週に1度くらいのペースで会っていたのに、彼の仕事の都合でなかなか平日に会えなくなってからはずっと会っていなかった。

趣味が合わないっていうだけでなく、彼には特別に好きなものがあんまりないんだなって思った。
たぶん、ただ心穏やかに暮らせればいいんだと思う。
それが普通、世間一般の人で、私の身の回りには自分自身も含めてなにかに執着する人が多いだけなのかもしれない。
それでも私はそういう「執着」が好きなのに、彼は全然そういうのがなくて、はっきり言って話すことがないしつまらない。
話すことがないって珍しいことで、別に楽しくないから一緒に時間を共有するのが面白くない。
楽しくもないけれど苦痛っていうわけでもない。

別れたくないかもしれないという気持ちはある。
私を愛してくれているんだなあというのはとても感じるし、私が好きなものを好きになろうとしてくれているんだろうなというのもわかる。
私が求めているのは、私が好きなものを同じように好きになってくれる人じゃなくて、趣味があってベースに共通のものがあって、それで楽しい話ができて、お互いの知らないものを知ってより楽しいなって思える人だけれど、それが恋人である必要はなくて、友人のなかにはそういう人が何人かいるのだからそういうことができる人を恋人に持つことなんてないってわかっているけれど。

それから、私が心を開けるというのは特別なことなのかもしれないなとも思う。
でもそれで、心を開いてなんでもかんでも言ってしまうし、それで私は自分がとてもわがままでクズみたいな人間なんだって実感する。
今まで、自分自身は「わがまま」や「クズ」ということばとは無縁だと思いこんでいたのに。

今の私の心は車のギアでいうところのニュートラルの位置にあって、好きだと思えば好きだし、嫌いだと思えば嫌いだ。
少しでも別れたくないって思うなら別れない方がもちろん良いのだと思うけれど、別れたいとも思うし、率直に言えば、傷つけたいとも思っている。

一方で私は、自分の孤独が共有されそうになったらその人を嫌いになるのかもしれないから、このくらい執着がない人と付き合うのが合っているのかもしれないとも思う。
求めているものを手に入れようとして、それが実際に手に入ったら手放したくなって、一生ひとりなのかもしれなくて、だから私は自分が孤独だっていうことを認識して「地獄の水」を飲むようなことばかりしていてはいけない。

ともかくもう自分からメールするのはやめる。
こんなところで宣言しないといけないのは、やっぱり別れたくないのかもしれないけれど。

私はまだ子どもだから、極彩色の世界でめちゃくちゃに暴れ続けることに憧れている。

カフェビーンズ

 
 
北与野の書楽のところにある「カフェビーンズ」というところでワッフルのランチプレートを食べた。
2時半頃に行ったので空いており、ラップトップやポータブルテレビを持ち込んでいる人までいた。
新都心はこの時間でもどこも混んでいる。
味は特別美味しいというわけではなく値段相応かなと思ったけれど、サラダの量が多く、全体的にも意外とおなかがいっぱいになる量だった。
デザートとドリンクがセットで、ホットペッパーのクーポンを使って640円は私にはお得だった。
ドリンクが多くの種類の中から選べるのも良い。
また行きたいというわけではないが、新都心や北与野周辺で時間をつぶすには良いお店だと思う。

カフェビーンズ (Cafe Bean's)[食べログ]
http://s.tabelog.com/saitama/A1101/A110101/11004384/