5月中旬から下旬。
5月17日(金)
職場の新人歓迎会を辞退させてもらうことにする。
新人だけで余興をやらなければならず、その練習もしなければならないがそれも不参加となり、練習にも参加しない。
5月18日(土)
仕事が終わったあとに精神科へ行って薬をもらう。
土曜日の夜までやっている眼科へ行って目薬をもらう。
人前で無理に元気そうにする癖がある人って病院行っても意味ないんじゃない。
(略)
この日記帳、内容が高校生のときに日記とたぶん変わらなくて堂々巡りしている感はんぱない。
この日記帳、内容が高校生のときに日記とたぶん変わらなくて堂々巡りしている感はんぱない。
実際には、高校生の頃の日記帳に死にたいと書いたことは一度もない。
5月19日(日)
ぱって目が覚めた。眠れなかったり眠かったりどうしようもない。やんなっちゃう。
間食が止められず、仕事をしながらカロリーメイトを1箱食べて、ぐーぴたも食べて、帰宅の途中に買ったドライフルーツやチョコレートや菓子パンを車内で食べて、夜中に仕事をしながらお菓子を食べて、甘くて温かいものを飲んでというのが普通だった。
いったん買ったお菓子を1箱、キャンディ1袋を一気に食べることもしばしばあり、1日に余分に1000kcalくらい摂っていたのではないかと感じる。
いくら食べてもおなかがいっぱいにならなかったし、食べてないと意識が保てないように感じていた。
昼食はいつも菓子パン2個かおにぎり2個を仕事しながら5分くらいで急いで食べていた。昼食の時間は特に定められておらず、しかし12時前後は授業や自習の監督のことが多かったので、だいたい10時か14時など不規則な時間に食事するしかなかった。
周りに遠慮してゆっくり食べられなかった。
慢性的に忙しいのと、お昼休みは面談があるのとでお昼ごはんを食べていない教員も多かった。
金曜日のお夕飯のカレーも自分でよそるのを良いことに2人前くらい食べてしまったし、昨晩のビスコを10袋くらい食べたし、夜中にお菓子やアイスは当たり前、買い食いや間食も毎日だったのだけれど今日はその有り余る食欲がなくなった。普通に戻った。このまま食べ続けなければならないとしたらどうしようと思って心配してた。薬のせいでちょっと気持ちが悪いけれど、食べすぎるよりはだいぶ気持ちが楽。
5月20日(月)
朝7時、通勤しているときに 交通事故を起こす。
ガードレールにこすって穴ぼこが開いた。
遅刻かと思ったら、警察の人に来てもらって現場検証などもしたのに8時には学校に着いた。
しばらくは電車で通勤することになる。
(略)こんなことになっても、私をなじったり悲しんだりしないで、私が無事であったことを喜んでくれる両親は心底えらいなあと思う。もし、こんなに手間をかけて、とか、お金がまたかかるとか言われたら、私は死んでると思う。こんなに愛されているのに30分に1回くらいはどうしようもなく死にたくなるのだから。
何が嫌だとか辛いっていうわけじゃなく、強いていえばよく眠れないから終始、深夜みたいな感じがして刹那的にしかものを考えられないということだ。(略)
5月22日(水)
新人の歓迎会だったが断ったので行かない。
このときはまだ自分が鬱病であるとは思っておらず、電車で隣になった女性が鬱病診断をケータイでやっているのを見ても人ごとだった。
「こんな綺麗なお姉さんが鬱病チェックをしているなんて社会は病巣だ」と思っただけだった。
寝てもさめても死にたがる。
本当は死にたくないよ。
食欲が止まらない。
本当は死にたくないよ。
食欲が止まらない。
電車で隣のきれいなお姉さんがケータイでうつ度診断チェックやってた。
5月23日(木)
仕事は休日出勤の代休で休みだった。
一日中なにもできずに横になっていた。
あまりにも頭痛がひどいと、その場しのぎでとりあえず眠ろうとする。それと同じで、出口の見えない憂鬱感をどうすることもできなかったから眠った。午前11時から午後12時半まで眠っていた。車の事故を起こして以来、眠剤は飲んでいないのに、よくこんなにも眠れたなと思う。
憂鬱感がどんなものかというと、やたらと自分が否定された記憶ばかりを思い出す。死にたいということ以外考えられない、落ち着かない、震えるなど。
こんなに寝たのにまだ眠い。
憂鬱感がどんなものかというと、やたらと自分が否定された記憶ばかりを思い出す。死にたいということ以外考えられない、落ち着かない、震えるなど。
こんなに寝たのにまだ眠い。
だらだら続く体調の悪さも、どうしょもなく落ち込むこの気持ちもほんとにいやだ。
眠れなかったり寝過ぎたり。1つ、映画のような壮大な夢を見たけどすっかり忘れた。
眠れなかったり寝過ぎたり。1つ、映画のような壮大な夢を見たけどすっかり忘れた。
昼間に7時間も眠った。朝まで寝ちゃうかと思った。
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