5月下旬から6月上旬。
ちょうど最後の出勤日まで。
5月24日(金)
この頃から、親に送っていってもらうことが多くなった。
以前は断って自分で電車や車で行こうとしていたが、最近は甘えることにしている。
朝送っていってもらう車の中では眠っている。
今思えば、やっと通勤しているような状態だった。
職場で健康診断があった。
5月26日(日)
本を1冊読み切る集中力がなくなる。
川上未映子の『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』が読めなかった。
今日の夕食だけは、普通の人の量で満腹になった。
川上未映子の『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』読んでみたけど挫折した。またいつか読むかもしれない。装丁がきれい。最近は持久力がないんだ。
おなかがいっぱいになるということがこんなにも幸せだなんて思わなかった!
5月27日(月)
半代休なので13時に退社できるはずが、学校新聞の相談をしていたら18時退社。
もちろん残業代がつくわけではない。
5月30日(木)
このあたりから立っていることが困難で、黒板のチョーク受けに手をつきながら授業をしていた。
ただ授業中には全く憂鬱感もないし、生徒には私の不調は分からないと思う。
5月31日(金)
新人4名で、月曜日までに15000枚の資料をコピーして半分に折らなければならないことになった。
職員が130名くらいいるのにコピー機は1台しかなく、人がいないときにまとめてやるしかない。
私にその仕事を命じられてそれをほかの新人の人に伝えるのだが、そのたびに新人の人が私に文句を言うのが不快で非常に落ち込む。
誰かにこのいらいらを向けようとも思わず、ただいらいらだけがぼんやりと体の中に溜まってゆく。
終わったら宅飲みでお疲れさま会しましょう、と新人の女の子に言ってもらえる。
6月1日(土)
「遊びたい」とわめいて階段の上り口を蹴ったら思いの外やわで穴が開いてしまった。
本当は遊びたいわけではなく、休みたいだけだった。
9時頃そのまま寝た。
いらいらしたから壁を蹴ったら穴があいた。壊したものを直すために働いているわけではないのに。まじでワープア。
なんかこう、何をしてもまじめにやりすぎてしまうし、上手い具合に生きられないから死ぬしかないように思う。
私はいつもポジティブであるはずでありそれは正しいのに自分の力でどうすることもできない。辛いことや嫌なことがこれといってあるわけでもない。甘いもので自分を甘やかすほど甘い私が嫌ではあるけれど。
本当は穴なんか開いてないんじゃないかって恐る恐る観に行ったけど、やっぱり穴はそこにあった。
なんかこう、何をしてもまじめにやりすぎてしまうし、上手い具合に生きられないから死ぬしかないように思う。
私はいつもポジティブであるはずでありそれは正しいのに自分の力でどうすることもできない。辛いことや嫌なことがこれといってあるわけでもない。甘いもので自分を甘やかすほど甘い私が嫌ではあるけれど。
本当は穴なんか開いてないんじゃないかって恐る恐る観に行ったけど、やっぱり穴はそこにあった。
6月2日(日)
頭が回らず何もできず、ただいらいらしていた。
坂井修一さんが私の短歌を佳作にしてくださったことを偶然知って急に元気が出るがそれもすぐにもと通りになり、ぼんやりする。
この日はいつも以上にツイートの内容がおかしかったらしく、いろいろな人が心配してリプライをくださったり、ダイレクトメールで個人的にアドバイスをくださったりする。
昨晩から本当にしゃれじゃなく頭おかしくなっちゃって家を破壊して自分も壊れて死ぬかと思ったけど偶然NHK短歌のバックナンバーに私の短歌が載っていることを知ってすごく嬉しくて平常に戻った。
すっごく小さく載っているだけかもしれないけれど雑誌が届くの楽しみ。
私が働いている学校かなりの離職率だと思う。
過去の図書新聞に載っているほとんどの新任だった先生のことを私は知らないもの。
どんなに辛くても3年は仕事を続けようと思ったけれど、しばらくこのままだったら計画を変更せざるをえないな。辞職も辞さない構えでいないとほんとに死ぬ。
辞職も辞さない。
辞職も辞さない。
人間辞めるか今の学校辞めるかだったら学校辞める。教員という仕事自体はとても自分に合っていると思うし、生徒も先生もとても良いんだけれど、いかんせん、仕事量が多すぎるし、それなのに今年度採用された人が少なすぎ。年度の途中でも辞める。
心の疲労が気分転換でどうにかなるレベルじゃなくなってきた。
せっかく出会った生徒のこととかほかの先生方のこととか考えるととても寂しいことではあるし、本当にとても良い生徒や先生が多くて、こんな学校ってなかなかないと思うし、こんなに辛くてもまだ続けたいと思える教員という仕事は素晴らしいけど、それを考えてもちょっと今の自分の状況は看過できない。
心の疲労が気分転換でどうにかなるレベルじゃなくなってきた。
せっかく出会った生徒のこととかほかの先生方のこととか考えるととても寂しいことではあるし、本当にとても良い生徒や先生が多くて、こんな学校ってなかなかないと思うし、こんなに辛くてもまだ続けたいと思える教員という仕事は素晴らしいけど、それを考えてもちょっと今の自分の状況は看過できない。
明日すぐに退職届を出そうとは思ってないけど。たいていのことは粘って一回はじめたことは自然と卒業の時期がくるまで続けることが多かったけれど、今回はかなり酷い感じ。
とりあえず今年の私学適性検査、受けとく。
6月3日(月)
労働問題を相談できる公的な機関に、仕事を辞めるにはどうしたら良いかという相談のメールをした。
たまたま今日は1日中1人で図書館の当番だったので閉架書庫でこっそり電話しようかと思ったが、結局そんな暇もなかったのでダメ元でメールを送っておいた。
以前、精神科に予約をしたときは、空き時間に体育館の下でびくびくしながら急いで電話をした。
最近、授業は充実してるし多少余裕を持ってできるようになってきたからほんとは途中で辞めたくないけどそれはべつの問題なんだよな。たぶん、、、
同期の人無断欠勤してて意味わかんない。
同期の人の無断欠勤に関してはそんなに気にしてない。
6月4日(火)
相変わらず死にたいと思っているけれど、潜在的に死にたいと思っている人を追いつめることになるからもう死にたいって言わない。
しかしもう、何かの弾みでかんたんに死んでしまいそうだな。
しかしもう、何かの弾みでかんたんに死んでしまいそうだな。
なんかもう全てが浄化された気分だ。なんでかわからないけれども。
たとえば、死にたい、死にたいって言っている人にはただ甘えているだけだと言って、いざ死んだら相談してくれれば良かったのにと言うような状況ってよくあるし、手遅れってそういうこと。
私が死にたいっていうわけではなくたとえだけど。
6月5日(水)
結果的に、最後の出勤日となってしまった。
誕生日だったので隣の席の同期の女の子がお菓子をくれる。
嫌なこととかため込むタイプでしょう、飲もう、と言ってくれもして、とても嬉しかったけれど、体調があまり良くないから、もう少ししたら誘ってくださいと断る。
そう言ったときはどうしようもなく体調が悪いとは思っていなかったけれど、実際にはかなり酷い状態だったのだと思う。
明日は出勤できないなんて思わないから、いまだにノートPCを机の上に置いたまま。
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