10/13/2014

真面目な大人の小論文指導

大学生のときに、論理的な文章の書き方についてのオンデマンド講義を受けていた。
1年生の前期前半に受けたその講義で習ったことはとても役に立っていて、あれがなかったら大学生活の中で書いたレポートは全体的に評価が下がっていただろうと思う。
講義各回で一つずつ文章の書き方を学び、それを使って文章を書いて、「ライティング・センター」という学内の施設で訓練を受けた大学院生に添削してもらうという授業だった。
必ずしも全ての文章が型どおりに書けていれば良いというわけではないが、意味の通る文章が書けない人も少なからずおり、そういう人のためにも、せめて高校の段階で書き方の勉強ができれば良いのにと思う。

小論文を書くことは文章を書くだけでなく、漢字を正しく書いたり、語句を実際の文章の中で使ったりする勉強にもなるし、物事について深く考え、自分自身を見つめ直すことにもなる。
さらに、小論文を書くためにアンテナを張ることにも繋がるし、それによって自分の好きなことを見つけることもできると思う。

私が指導していた生徒は、添削を繰り返しているうちに1ヶ月弱で小論文を書く力が大きく伸びた。
それは入試が近いという焦りと本人のやる気、集中力があったこそのことではあるが、それでも、私の予想以上の進歩だった。
小論文の勉強をしなければその生徒はきっとこの先もずっと上手く自分の考えを伝えられない文章を書くことになっていたのだろうと思うし、そのような生徒はたくさんいるのだろうなあと思う。
もし私が現代文を担当することになって、自由にカリキュラムを組めるのであれば、なるべく書くための授業をしたいし、進学補習なんかではきっとこの先、小論文の授業をすることがあるだろうから、今のうちに良い指導方法を考えておきたい。

10/02/2014

子どもがほしい

子どもがほしいなあと切に思う。
3人くらいほしい。
そう思うのはおそらく、自分が顧問をしている部活動の生徒のことが本当に好きで、そういう子たちが頑張っているのを見るにつけてもわくわくして、胸が熱くなるってこういうことなんだと思えるからだ。

ただ、もし子どもができてもあまり過保護に育てたくはないし、ついつい目をかけすぎてしまいそうだから気をつけなければと思う。
あとは私の思い通りにならなくても、自然に任せること。

子どもには一生懸命頑張ることの大切さは教えたい。
それから同性からはもちろん、異性にも好かれるようにしなさいと言いたい。

男子も女子も本当に愛しているっていうことを口には出さないで伝えたい。
あなたからこんなに元気をもらっている人がいるんだということに気づいてもらいたい。

思考の限度 想像の限度

人は、自分の知っている範囲内でしかものを考えたり想像したりすることができない。

10/01/2014

進路で悩んでいた自分と今の高校生と

今の仕事で担当している分掌が進路なのは本当に良かったと思う。

現在の勤務校は教育困難校で、自分が高校生だったころには想像できないような生徒の無気力さ、諦め、授業中のうるささ、そういうものがもううんざりで、可もなく不可もなく仕事をこなしていれば良いし、別に誰からも文句を言われることもないし、仕事は仕事と割り切っていればいいんだと考えることが多かった。
現に、今もそう思うことは少なからずある。
そもそも教員というのは私にとってとても就きやすい職業で、だから教員をすることにしたのだ。
スタンスとしては「ほかの仕事をしても良いんだけれど、一番やりやすいから教員をやっているし、ほかの仕事があればそれでもまったくかまわない」というとても低い志のもとで再び教職に就いた。
別に、どうしても夢を諦めたくないとか、誰か(あるいは最初の勤務校)を見返したいとかそういう気持ちではなかった。

でも進路指導の仕事をしていると、普段、それほど学ぶことに熱心とは思えない生徒が進んで指導を頼みに来る。
そういった生徒はとても真剣で私自信も真面目に、真摯に指導しようと思える。
加えて、普段生徒をほめることってあまりなくて、それどころか怒っていることが多いので、生徒を心から褒めたり励ましたりすることができるのがとても嬉しくて、だから良いんだと思う。

思えば、自分の高校時代は毎日辛くて辛くてたまらず、それこそ仕事を辞めた前後よりも毎日死にたいと思ってばかりいて、そのとき一番悩んでいたのは進路のことだった。
私は四年制大学へ行くのが当然だと思ってこそいたものの、進路に悩む気持ちというのは誰しも多かれ少なかれ似通っていて、だからそういう点で少しでも高校生を救えたらと思っていたのだった。

もし進路指導部ではなかったら、学校を来訪するお客様の応対をして、いろいろな企業や学校のことを知ることもできなかっただろうし、こうして意欲のある生徒に気づくこともできなかった。
そうしたらきっといつまでも(言い方は悪いけれど)サラリーマン的に仕事をこなしていただけだったと思うし、本採用を目指そうとは思えなかったと思う。

分掌そうだし、部活動も私が好ましいと感じるタイプの生徒が多い部活で、自分も初心者なのに一緒にやらせてもらえたこと、私が今の勤務校に着任したときの教科の主任の先生が素晴らしい方だったこと、選抜メンバーの学年団に入れて、中でも本当に尊敬できる英語の先生が面倒を見てくださったこと、そういういろいろな幸運が重なって、私はやっぱり教員って自分に向いている面もあるなと思えるし、「やってて良かった」と感じられる機会の多い仕事だと思う。
だから、今年はもうどうなるか分からないけれど、来年は絶対、本採用を目指す。