12/25/2013

正しい暮らし

正しいということに弱い。

まず「弱い」と感じる心というのは憧れとは違っていて、それにはかないません、ひれ伏します、と思う気持ちに近い。

「正しい」ということ、それがどんなことかというと、道徳的、倫理的に正しいというのとは違う。
道徳や倫理のような、これが正しいのですと誰かが定めたものをきちんと正しく守こととは異なっていて、誰が決めたでもない、そのもの自体が私にとって絶対的に正しいと思えるものが正しいものである。

たとえば、サカナクションの「アルクアラウンド」という曲の中に
正しく僕を揺らす
正しい君のあの話
正しく君と揺れる
何かを確かめて
とあり、その「正しい」「正しく」に弱い。

以前とても好きだったけれど今ではもう関係が戻ることもない人がおり、その人はどちらかというと破天荒な人だったけれど、私にとって絶対的に正しいと思わされてしまう人だった。

「正しい」は盲目的に宗教を信じることとも似ている。
「正しい」というものは神様のようでもあり、自分の気持ちそのもののようにも思える。

「かぐや姫の物語」についての覚え書き(内容についての記述あり)

今年1年、1ヶ月に2本ずつくらいは映画館で映画を見たと思うが、「かぐや姫の物語」は今年一番と言って良いくらい好きな映画だった。
映像がきれいなところ、ストーリー展開や音楽も全体的に好きで、細かな部分もとても私の好きであるということにぴったり当てはまった。

11/04/2013

文学フリマ 所感

初めて文フリに行ってきた。

・凝った表紙や変わった形の本は目につきやすい。

・凝った装丁の本は買いたくなる。

・大学のサークルなどでない限り、SNSなどで十分に宣伝をしておくことが必要だと思った。売上でもとをとることはできないとしても、あまり買いに来てくれる人がいないのは寂しい。

・冊子以外のものを売っていると立ち寄りやすい。

・九ポ堂というところの活版印刷で架空の職業を印刷したハガキは、クラフトエヴィング商會の『じつは、わたくしこういうものです』に似た雰囲気があり、もっとたくさん購入すれば良かったと思った。(通販でも購入できるが……)

・ショージサキさんの「秘密基地女子」は装丁が素敵。

・かわいい絵本なんかがあったら良かったのにと思ったけれど見つけられなかった。

10/29/2013

好きなものについて考えることとこじらせ女子

好きなものについて考えるとき、それを好きじゃない人の視点を持ち込んだらきりがないし落ち込むしかないから、そんなのないふりをするのが良い。
でも、部外者の視点、とくに批判者の視点を無視できないで自ら苦しんでいるのがいわゆる「こじらせ女子」だと思っている。


たとえばCanCam系の服装の人って、当人たちは素敵だと思ってやっていて、そういう人は一定数いる。
でもなかにはCanCamファッションの人を指して、みんな同じで個性がない、そんなのおしゃれじゃないと批判する人もいる。
CanCamが好きな人はCanCamを嫌いな人の視点なんか取り込む必要はなくて、今自分が来ている服をCanCamが好きな人同士ではどう思うかそういう選択を楽しんでいれば良いし、趣味や好みというのはそういうものだと思う。
それなのに、そこにCanCamを嫌いな人にどう思われるかという視点を持ち込んで、自分を全否定しなければならなくて苦しんでいる人もいる。


CanCamをサブカルっぽいものとか森ガールとかに変えても同じことで、サブカルが好きな人がサブカル批判を気にして自分がそれを好きであることを気に病むこと、それに「こじらせ」という名前が付けられて一つのファッションになっているのではないかと考えている。

10/28/2013

ハロウィンパーティ

職場でハロウィンパーティーがあった。

この行事の担当は私で、おおよそほかの職員の言う通りにやったのだが、最終的にいろいろなことを決めるのは私だった。


ハロウィンのゲームの段取りが上手くゆかなかったところもあったけれど、お迎えに来た保護者の方に子供たちがとても楽しそうに報告しているのを見て、やって良かったなと思った。


特に、普段は寡黙な1年生の男の子が、どんなゲームをしたか、どんなお菓子がもらえたかを興奮して話しているのを聞いたとき、制作もゲームもやったかいがあったなと心から感じた。


制作した箱に関して、保護者の方々からの評判が割と良かったのも嬉しかった。

今回のやりきった感じは、今年の1月に他大学のピア・サポート・プロジェクトと自分の所属しているプロジェクトの交流会を開いたとき以来で、求めていたけれどなかなか得られなかった気持ちだった。

10/05/2013

表面的に人と付き合うということ

私は今のアルバイト先で、個々の事象に対してほんの一瞬腹が立つことはあっても、それを引きずったり嫌いになる個々人というのはない。
それは私が徳の高い人間だからではまったくなくて、今のバイトを半年で辞めようと思っていて、どんなに長くてもあと半年の関係だから深く相手に立ち入らないようにしようと心に決めているから、個人的に親しく思う感情もひいきもなく誰とも接しているためである。
でも、それを人生において同じように適用して、どうせ数年、数十年しか付き合うことはない人なのだから、だれとも表面的にしか付き合わないようにしようと考えて、人に対して嫌だと感じることなく平穏に暮らせるとしたら、それが正しいのかどうか、そうでないとしたらどうして正しくないのか、それは私にはわからない。

9/24/2013

2013/09/24 寂しさ

この3連休はお彼岸で祖父母の家や祖母が入所している施設に行ったり、友人と本屋さんへ行ったり、また別の久しぶりに会う友人と甘いものを食べに行ったりして、この上なく愛にあふれた幸せな時間を過ごした。
その反動なのかなんなのか分からないけれどとにかくもの寂しい。

仕事では私がお茶菓子を買う当番で、お茶菓子が職員の気に入らなかったらしく、それが私を寂しくさせる一つの要因ではあるのだけれど、そんなくだらないことが自分の気持ちを落ち込ませていること、大学時代の同級生なんかはもっともっと大変な思いをしているのだろうと想像することになおさら寂しくなる。

あと短歌を詠む気になれないのが寂しい。

ビーズでドレスを作ったりしてそういう自分の時間は十分持つことができるのに寂しくてたまらない。

でも一つの救いは、怒りや憂鬱はもうどうすることもできなくて持て余してしまうけれど、寂しさはただ静かにそれが過ぎ去るのを待つことができるということである。

9/09/2013

嫌いな言葉

もったいない

あざとい

良くも悪くも

2013/09/08 遡及

一昨日、コンビニで教員免許をコピーした際に持って帰るのを忘れたことに昨日の夜中に気付き、なかなか入眠できなかった。
朝、コンビニに取りに行って、教員免許を忘れたと言ってもなかなかわからないだろうから(教員免許は運転免許証のようなものではないのである)「A4の薄ピンク色の厚紙2枚を忘れてしまったのですが」と言ったら、店長のような方に「非常に大切なものですね」と言って渡される。
教員免許も紛失せず、店員さんも親切な方でほっとした。

2年ぶりに会った同じ高校の先輩とお昼を食べ、それから出身高校の付属中の文化祭へ行き、高校の頃の恩師に挨拶に行く。
その先生は非常勤の先生だったのだけれど、私が退職してからハガキやメールをくださって、本当に強くサポートしてくださっていたので、絶対にすぐに会いたいと思っていた。

それから高校の文化祭へ行き、教育実習でお世話になった先生や担任の先生に会う。
実習のクラスの生徒にも声を掛けてもらえて嬉しかった。

当然といえば当然だけれど、先生方はみな、私が仕事を辞めたことを肯定して励ましてくださり、再び教員を目指すということも応援してくださった。
私が勤務してた高校から私の母校へ移った先生もいらしてそういう先生のお話を事前にうかがっておくべきだった、いくら忙しかったとしても、と後悔した。

先輩が以前と同様に、そして私以上に文学を愛していて安心した。
もうしばらく会っていなかったから、文学なんて意味のないものだという考えに変わってしまっていたらどうしようかと思っていたから。
それから、先輩とも文通できることになりまた一つ楽しみが増えた。

先輩と話す中で、今と昔の美意識が異なるのに昔の人が美しいと感じた月を今の人も美しいと感じること、手紙はペンや便箋を選ぶところからはじまること、そういったことが私とまったく同じ考えだということがわかり、余計に嬉しくなる。
先輩と会うと、たとえばグラスは両手で持って飲んだり、そういった所作なんか美しくしなければならないと思うし、また一段と美しくなっていてそういう努力を怠ってはいけないと思う。

高校から帰る途中に先輩とケーキを食べて、また文学のことをたくさんお話しした。
文化祭へは独りでちょっと行こうと思っていたけれど、最初に述べた、非常勤だった先生にとてもお世話になったという先輩を誘うことでき、本当に良かったと思う。

それから別の友人とお酒を飲む。
どこへ行っても結婚の話は避けれないなあと思う。

Skype英会話を夜の11時にやったけれど、こちらのWiFiの調子が悪いらしく(今も悪いのでこの記事が自動保存されたりされなかったりする)、上手く行かなかった。
今日は英会話は休もうと思ったけれど、存外早く帰宅できたから、やっぱりやることにしたわけなので、そういうときもあるということがわかっただけで良し。

8/27/2013

これからのこと

もしもこれからどんどんどんどんどんどんどんどん、自由がなくなって物事に縛られているだけの人生が続いてゆくだけだとしたら辛いなあ。
もちろん、毎日を楽しく暮らすために、いろいろな楽しみを見つけて行ってゆくし、今もそうしているつもりではある。
あるいは学生時代が人生の絶頂期だったと決め込んで、その思い出を胸にこれからの日々をつつましく生きてゆけば良いのであるけれど。

7/20/2013

2013/07/20 燃焼

母の友人が通っているフィットネスクラブの無料体験会に参加する。
マシーンのトレーニングと、ベリーダンスを応用したフィットネスのプログラムをやって、こういう感じだったら楽しいから続けられそうだと思った。

友人からLINEで留学についてのメッセージがあり、会いたいなあと思うけれど、それは言わなかった。
あとになって言えば良かったと後悔することは目に見えている。

そのまま、職場の指定らしい買い出しのお店の場所を確認しに行く。

帰宅してカレーと抹茶寒天を作って、夏らしい夜だった。

7/07/2013

俵万智『短歌のレシピ』

磁石の中間: 短歌の添削」の記事で書いた『短歌のレシピ』(俵万智、新潮社、2013)、この記事を書いてすぐに購入したのに、今日、電車の中でまとめて読んでやっと読み終わった。
仕事を始めてすぐ、車の中で5分読んでから出社することにしようと決めて読むという読み方をしたり、返却期限の近い図書館の本を読まなくてはならなかったりして、つい後回しにしてしまっていた。

『短歌のレシピ』では俵万智さんが、一般の人から投稿された短歌を一つひとつ取り上げて添削している。
その添削が的確なだけでなく、そのテクニックがどうして有効にはたらくのかがわかりやすく解説されている。
ただただ感心するし、俵万智さんの誠実さがあらわれている。
前述の記事で取り上げた自作の歌は「は」を「が」に変えるというアドバイスをいただいたが、そのこともこの本で紹介されているテクニックである。
それから連作についての解説もあった。


ただ、この本の通りに自分の歌を推敲してゆくだけでもっと良い歌が詠めるかというと(ある程度は上手くいくけれど)必ずしもそうとはいえなくて、最終的には「俵万智さん的な歌」、もっと露骨な言い方をすれば「俵万智さんの歌の劣化版」になってしまうのだろうし、これで歌が詠める気になってはいけないなと思う。
だからとにかく古典から近現代の歌、歌に留まらずあらゆる文学作品・芸術作品に触れること、詠みたい出来事を日常生活において見逃さないことが絶対に必要である。

私が、歌集は詠んでも短歌入門の本を読まなかった(とはいえ、土屋文明の『短歌入門』は読んだ)のは、近道をして学び、詠んだ短歌が自分の心であるとはいえないという考えがあったからである。
詩歌そのものに触れ、自分の中で消化し、自分の骨肉となる。
自分の短歌はその骨や肉の一部であらまし、と思っている。

それはそれとしても、この『短歌のレシピ』という本がとても良い本であることには変わりないし、この本は、ときどき再び手に取って読みたいと感じた良い買い物だった。

2013/07/07 最高気温

朝からラジオで流れていた曲、ヘイリー・ロレンかなと思ったらその通りで嬉しい。

池袋に小野寺修二さんの舞台「シレンシオ」を観に行った。
首藤康之さんを生で見るのは意外にも初めてで、最後の方のソロで踊るところなんか特に、その所作にうっとりしてしまった。

それからルミネで服を買う。
本当はそのあと、友人と夕食を一緒にとれれば良かったのだけれど、今日は都合がよくないということでなしになった。

食べたら太るだろうなと思いながら食べるものが果たして美味しいのでしょうか、自分を満たしてくれるのでしょうか、美味しいのでしょうか、とふと思って、そうすると不必要な間食を押さえやすいことに気づいた。
今は全く異常な食欲というわけではないが。

電車の中で読んだ『短歌のレシピ』は、日下先生の最終講義の少しあとに購入したものだから、もう3か月以上も読みさしでおいておいたものだった。
とてもおもしろい。

電車の中で退職した旨を報告していなかった友人たちにメッセージを送る。

今は読んだ本しか記録していないが、これから見た映画・舞台・展覧会も記録するようにしようかと思う。
でもそうすることで感じることよりも記録の数を増やすことに執着し始めるのではないかと恐れているので少し迷う。

2013/07/06 『猫』と呼ぶ

午後から上野の東京芸術大学美術館の夏目漱石展へ行った。
大学のときに履修していた中島国彦先生の授業を思い出しながら西洋のコーナーを見た。
「オフィーリア」が気に入った。
芸大美術館へ行くのは初めてだった。
便箋と猫のハンコとハガキ、図録を購入。
こんなに買うのは珍しいけれど、ミーハー国文学生だしどれも外せなかった。

もっと早く行って、上野公園のあたりを散歩したら楽しいだろうと思った。
上野へ行くと、独りでもデートしている気分になる。
こんなに幸せで良いのだろうか、と風が吹くたびに思う。
上野でデートしたい。

それからマルイでイヤリングを買ったり服を見たりしてから大学の方へ向かう。
駅のそばで古本市をやっていたことを教えてもらい、もっと早く到着して本を見るべきだったと後悔する。

大学のときに一緒に活動していた同期の人や後輩と飲み会に参加する。
体調の問題で参加できるかわからなかったのと、仕事を辞めたことをいちいち説明するのは自分にとってかなりの負担になるだろうと思われたので、参加することを迷っていたけれど、結果的に行って良かった。
こういうのに誘ってもらえることがありがたい。

久しぶりに何の気兼ねもなく楽しく話せる人たちと話した。
少し遠くの家に帰るまでの電車の中のやるせなさ、(たとえば本を読む気分にもなれなくて、だらだら携帯電話をいじってしまう感じ)や、家に帰ってからのどうしようもない寂しさが身にしみた。
それで、そういう気持ちが大学を卒業して以来のものであることを感じ、懐かしくてたらないものであることに気づいたあとは、寂しさに突かれる痛さが快感であるかのようにそれに身を委ねていた。

7/06/2013

2013/07/05 一人ひとり

新しい仕事を始めて1週間が経ち、ちょうど、仕事内容が一巡した。
仕事柄、曜日の感覚が非常に大切なのである。

私が好きなミュージシャンベスト5に入りそうな人たちの曲がラジオから立て続けに流れた。
車に乗っているたった7分の間に、椎名林檎の新曲である「いろはにほへと」と、数年前の宇多田ヒカルの曲である「Beautiful World」がラジオから流れ、家に着いたらすぐに、SCANDALの「Kill The Virgin」がかけられた。

両親も妹も、東京駅で夕食を食べてくるということだったので、1人でおかずクレープを作って食べた。
意外とクレープを焼くのはコツが必要で、少しでも厚みがあると見た目が綺麗でないだけでなく、なんとなく生のままのところがあったりして美味しくない。
やっぱり、おかずクレープは早稲田のフロハンのものが美味しいし、自分で作って独りで食べるのは味気ない。

妹が東京ステーションギャラリーで購入した絵はがきを買ってきてくれた。
妹が独りで美術館に行くようになったのは嬉しい。
私なんかよりずっと、ものを見る目があると思う。
自分でも判別がつかないけれど、私はただ衒学的趣向から美術館へ行っているのではないかという気がして悩んでしまうことがあるから。

7/01/2013

2013/06/30 普通

「桐島、部活やめるってよ」のDVDを見た。
あまり好きな感じではなく、途中からは惰性で見てしまったけれど、神木隆之介くんが非常に上手く、それを見るだけでも見たかいはあったと思った。
あと、私が注目した映画部の副部長の前田朋哉さんが、ほかの役者と比べて結構年上であるということに驚く。

また広い駐車場で駐車の練習をした。
左からバックする駐車も、ある程度のスペースがあればできそうだった。

Tシャツを買った。
服を買えるようになったのはとても良いことだと思う。

夜、第6夜まで「ユメ十夜」のDVDを見た。

2013/06/29 駐車の練習

広い駐車場で駐車の練習をした。
自分が外側になる左からバックしての駐車がどうしてもできないから、そのときだけ外車にしたいと思う。
実際には軽自動車しか運転する気はないから、絶対に外車は運転しないけれど。

アイスクリームを作った。

妹が腹痛のため夜中に薬を買いに行ったりしていて、結局ソファで本を読みながら座ったまま朝の5時まで眠ってしまった。

2013/06/28 新しい仕事

新しい仕事の採用の電話がある。
自宅から近く、仕事の内容もいままでやってきたアルバイトなどに近いものがあるから、この仕事に採用されたのはとてもありがたい。

それからすぐに、年金手帳を取り戻すために以前の職場に電話をした。
年金手帳はコピーしか預かっていないということだったので、よくよく見てみたら自宅の机の引き出しにあったが、私は職場に提出してしまったと思っていたので致し方ない。

家の掃除をして昼ご飯を作り、そのあと年金手帳とそのほか必要書類のコピーを持って市役所へ行く。
新しい職場の前を車で通ってみて、帰りがけにローソンでロールケーキを買う。
以前から妹が食べたいと言っていて、今日は風邪で大学を欠席しているところだったから。

図書館と買い物へ行き、そのまま新しい職場へ挨拶へ行った。
駐車が難しいところが難。
なるべく自転車で行った方が良いかもしれない。

3か月ぶりくらいに服を買った。

6/28/2013

2013/06/27 中華スープ

午前中は鬱病日記を整理していた。

お昼ごはんはおかずクレープ。
ポテトサラダなんかを包むと美味しいと思う。

エンデの『だれでもない庭』を読み終わった。

ある特定の友人をテーマにした短歌を作ってみた。
公開するわけではないけれど。

なんだか昨日から絶望的な寂しさに襲われることが多々あるので、久しぶりに薬を飲んで寝る。
やっぱり毎日、今ある薬が終わるまでは飲み続けようと思う。

6/27/2013

2013/06/26 平穏

新しいアルバイトの面接に行ってきた。

それからお昼を食べて、どこかに出かけようと思ったが、雨が降っていたのと車を運転して駐車するのが面倒になり、家にいることにする。

アーモンドクッキーを作った。
焼くのは明日。

夕食はガパオライスを作る。
オイスターソースって意外と便利だなと思う。

インターネットで印刷の注文をした写真をアルバムに入れて整理する。
写真は印刷するのが好きだ。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 07

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

6月上旬の、退職するように命じられてから自宅療養していた期間。
今後再発することがないとすれば、ここまでが本当に病んでいた期間で、これ以降は多少、心身に不安はあってもどんどん回復していった。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 06

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

6月上旬の欠勤をしていた4日間について。
ほとんど眠っていた。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 05

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

5月下旬から6月上旬。
ちょうど最後の出勤日まで。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 04

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

5月中旬から下旬。


13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 03

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

5月の初めから中旬。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 02

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

4月中旬から下旬。

6/26/2013

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 01

新卒である私立高校の専任教員をしていた私が、入職2か月で鬱病になって仕事を辞めるまでを述べる。
6月の始め、一気に悪くなって出勤できなくなり、職務規定から休職ができないということだったので退職せざるを得なくなったのであると思っていたが、自分の日記などを見る限り、その兆候は大いに見られていたようである。

2013/06/25 肯定

病院へ再検査の結果を聞きにいく。
今日は自分で運転して行った。
何にも異常はなく、まだ先週の採血跡があざになっているのは消えないけれど、ともかく良かった。

図書館で川端康成の「末期の眼」(青学の入試問題に使われてた)や三島由紀夫の自伝的文章を読む。
TSUTAYAとスーパーへ行く。
こういうところへ行くのは久しぶりで、強い意志のない人には無職という職業すら重荷になるだろうなと感じる。

それから自分のここ3ヶ月間の動向をまとめる。
明らかに病気になってもおかしくない生活をしていたし、どうみても精神を病んでいるし(日記やTwitterからだけでそれを判断することはできないけれど、今の状態なら考えないようなことを平気で書いている)、改めて仕事を辞めて、書類上は退職で実質的にはクビだけれど、それはとても良いことだったと思う。

ケークサレを初めて作った。

お夕飯を作ってから、フリッパーズギターのアルバムを聴きながら教職教養の勉強をする

6/20/2013

他人の感想 自分の感想

ある物事に対する他人の評価を鵜呑みにして自分のものであるかのように思い込んではいけないということ。

かなり前の久保木先生のツイートより。

たとえば、新聞で見て興味を持った本のブックレビューをネットで見たら非常に評価が低かったとき、そこでやっぱり読むのをやめようと思うことはよくあると思うけれど、それって人の評価のみによって自分の興味の対象を自分から引き離してしまうことになる。
結局、読んでみたら本当は面白いかもしれないのに。

これって読んだ後にブックレビューを見て、それを自分の感想だと錯覚してしまうことにも当てはまると思う。
(そこまで久保木先生がおっしゃっていたかどうかは忘れてしまった。)
ぼんやり持っていた自分の感想が、結局、他人の感想をなんとなく混ぜ合わせたものになって、それが自分が抱いた感想だと思ってしまうことがあるけれど、それは自分というものをなくしてしまうのと同じように思う。

その音楽を好きであるということだけが大切である

音楽の聴き方って、ひとによって違うのだと思う。

たとえば、私は椎名林檎が好きだけど「椎名林檎の歌詞って何言ってるかぜんぜんわかんない」っていうようなことを言われることも多い。

そういう人はJ-POPというのは歌詞を聴くものだと思っているからなのだろうと思う。
自分の気持ちを言語化してくれるものとしての歌詞であり、それこそが曲の核なのだろう。

たとえばもう一つ、カラオケでaikoの「愛の病」を歌って「いいよね。泣けるよね」と返されても、いまいちピンと来なかったりする。

一方、私はJ-POPの歌詞は声という楽器が演奏しているパートだと思っているみたいだ。
全く歌詞を無視しているというわけでもなくて、音楽を聴いていてたまに歌詞を気に留めたり、歌詞カードを見たり、それからカラオケで歌って正しい歌詞を初めて知ったりして、改めてこの人って素晴らしい詩人だなと思ったりすることはある。

いろいろな聴き方があるからこそ、いろいろな音楽が流行るのであるし、音楽を発信する側としても、歌詞でメッセージを伝えるためにその付属品として、つまり詞のみで多くの人に伝えることは難しいからキャッチーなメロディーをつけている人もいれば、歌詞・メロディー・アレンジ、またデザインやプロモーションも含めた総合的な表現としての音楽を発信したいと考えている人もいるのだろう。
だから、歌詞のみを聴くのは素人でそれ以外の部分も聴くのは玄人とか、後者が偉いとか思いがちだけれど、本当はそんなことは全くなくて、好きであるということだけが大切である、そういうことを忘れないようにしたい。

6/10/2013

退職について

仕事を辞めることになった。
ばかなのか短気なのかメンヘラなのかなんだかわからず、いざ辞めるとなるとやっぱり入社2か月で辞めるなんてばかでしょう、甘ちゃんでしょうとしか思えないのですが、数日前のTwitterの投稿や自分の日記を見返すとやはり辞めるか死ぬかしか選択肢がないようなことばかり書いているのでそれほど追い詰められていたというのは嘘ではなかったのだと思う。
実際、心身の調子が悪くて仕事に行けなかったというのはどうしようもないことであるし。
どこまでが事実で、どこまでが自分を正当化しようとしているのか自分でも判断がつかず、それによって苦しい思いをし、その身勝手さに嫌気がさす。
周りの人たちに大変迷惑をかけ、どうすることもできず、外に出られるかもわからず、誰にも相談できず、自分の判断を人任せにしようとする自分が不甲斐なくてこの先、生きてゆけるのか不安になる。

5/15/2013

綴ることと話すこと

死にたい死にたいと書こう、死にたいと言うことがどんなに親不孝かを書こうと思って開いた日記帳の予定表のページに、大好きな友人の誕生日が今日であることを見つけて救われた。
間に合って良かった。
これを逃したら1年待てば良いというものでもないもの。

5/07/2013

お土産は

京都へ行ったら長久堂の「鳰の浮巣」を買いたいし、中華街へ行ったら同發の「菊花酥」を買いたい。

4/07/2013

なにより辛いのは

あたらしい職場はとても忙しくて大変なこともたくさんありますが、今のところはやりがいがあるし充実している。
なにより辛いのは、関係がこじれてしまったある人のことをもう2か月も経つのにいまだに毎日考えてしまうことだ。やはり。

3/21/2013

2013/03/20 パンダのファスナー

「レ・ミゼラブル」の映画を観る。
行ったのがぎりぎりだったし祝日なので満席かと思ったが、かなりの席が空いていて驚く。
行こうか家で教材研究しようか迷ったけれど観にいって良かった。
なんだかんだいっても、愛を肯定する映画が好きだ。
あとミュージカル映画が好き。

それから職場に行く。

夕方は就活をしている友人と新宿で久しぶりに会う。

明日までに大学の校歌を覚えなければいけないはずなのに、気が付いたら東京事変の「大発見」を聴いていた。

3/17/2013

短歌の添削

Twitterで俵万智さんが短歌を添削してくださるということなので一首投稿した。

短歌と私、というといつも思い出すのが中学生の選択国語(普通の公立中学だったけれど国語や数学、設定された好きな科目から選べる授業が週に数コマあった)の授業だった。
その授業では図書室で短歌を作るというのがあって、

  三十一文字いくらたっても浮かばない私の脳は冬眠中

という歌を作って散々先生にダメ出しされた結果、

  三十一文字いくらたっても浮かばないすごいなと思う俵万智さん

という歌に落ち着いた。

どうして最初の歌はダメで、あとのは良いのかを最近ずっと考えていて、
1. 前者は「いくらたっても浮かばない」「冬眠中」というのが冗長。31文字も使わないで表すことができてしまう。同じことを2回言っている。
2. 後者は少なくとも俵万智を読んでいるような読書好きな人物が想像できる。
というような理由だろうということに気づいた。

この中学生のとき以来、8年くらいずっと歌を詠むということはしていなかったのだけれど、ちょうど1年前に初心者向けの歌会に参加させてもらったことがきっかけで短歌を少し詠み始めた。
だからこういう個人的な理由で、俵万智さんに短歌の添削をしていただけるなんてありがたく思うと同時に、素晴らしい巡り合わせだと感じる。


3/11/2013

2013/03/11 つむる

電車の中で黙祷を捧げたりしたけれど、だいたいの人は眠っていた。
去年の3月11日は就活で東京国際フォーラムにいて、今年の昨日もすぐそばにいた。

2013/03/10 最年少

朝から「ゴロウ・デラックス」の谷川俊太郎さんの回を見る。
それから漢文の勉強をしたり家の片付けをして、科博へ。
友人より見終わるのがあまりに早かったので、7年ぶりくらいに微生物のスケッチをする。
あと友人とメールしたりしていた。
夜はほかの人と合流して、オイスターバーで牡蠣の食べ放題をする。
昼間は初夏のような暖かさだったのに、夜は風が強くてひどい寒さだった。

3/07/2013

NHK短歌 2月3週目

NHK短歌2月3週目でとても良いなと思った部分。
新聞の短歌の投稿欄に載っている歌などでもそうだけれど、気になった歌は書いておかないとすぐに忘れてしまってあとか探そうとしてもまず探せない。

春浅き
大堰の水に
漕ぎ出だし
三人称にて
未来を語る 
栗木京子 
という30年くらい前、栗木さんが学生だった頃の歌に対する返歌が、
大堰川
凍て雪とけて
たちのぼる
よきことばあり
かの日よりきみに 
坂井修一
だった。
この完璧に救われる感じ、光に満ちあふれている感じが素晴らしいと思う。
栗木さんの歌だって十分希望の歌で、希望度100(と不安が少し)なのに、坂井さんの歌は歳月をふまえてのそれ以上の希望と、さらに肯定の歌だ。

あと、栗木さんも坂井さんも古典に学ぶことを推奨されていたのは私としてはとても良かった。
擬音語などかえって斬新なものもあるということ。
入力と出力とでは出力の方が自分の中だけでできる分、楽しようと思えばいくらでも楽できるし簡単で、だからこそ、古典とか先人に学ぶことって必要だし、自分の中だけに留まらない、でも自分だからできる表現をするために他者を考えることもまた必要だと思う。

3/06/2013

2013/03/06 魔法よ魔法

渋谷にバレエを見に行く。
その前に、新宿くらいに電車がいるときに急に思い立って、下北沢へ行くことにする。
下北沢は就職活動で1回、お芝居を観に1回行ったことがあるけれど、散策したことがなかった。


3/05/2013

2013/03/05 歳月の哀しさ

国立国会図書館へ行く。
カードを作っただけでそのまま国立劇場へ。

李相日「69 sixty nine」

李相日「69 sixty nine」のDVDを見た。

2013/03/04 ここが日本

朝4時頃に起きて、お風呂に入ってそのまま起きている。

朝食はいつもよりちゃんと料理をして、家族の分まで作る。

それからおととい借りてきた「69 Sixty Nine」のDVDを見る。
妻夫木聡の出ているDVDばかり見ているようにも思うけれど、見たいと思ったDVDにたまたま妻夫木聡が出ている場合と、妻夫木聡が出ているから見たいと思って見る場合が半々くらい。
これは学生運動とか全共闘とかが知りたくて見たわけだけれど、結局よくわからなかった。

そのあと毎週恒例、しなきゃいけない連絡とかちょっとした作業とかをこなす。

お昼ごはんを作ってからタピオカデザートを作って、洗濯物をしまってアルバイトへ。

それから車の運転の練習をする。

WBC見たいのに、日本戦のときはいつも家にいないなあと思う。


3/04/2013

2013/03/03 孤独じゃない

昨日同様、国際東京文芸フェスティバルへ行った。
昨日のブルーな気分を抱えたまま、浦沢直樹とジュノ・ディアスの対談に参加することになりそうだったけれど、会場である大学へ歩いて向かう途中で友人からメールが来て、会場で会えそうだということになった。
結局、その友人と朝のプログラムからお昼過ぎのプログラムまで一緒に参加して、つっこみ入れたりいろいろ話したりできて、文芸フェス自体ももっと楽しめたし、ブルーな気分もその人に会った時点で解消されたから、非常に救われる思いだった。
文芸フェスのことはあとでちゃんと書いておきたい。
毎回書いていることかもしれないけれど、大学生になって改善されたけれど、もともと私は人付き合いを極端に避けてきてしまったから上手く他者と付き合えないことがあって、だからこうやって友人が声をかけてくれということはそれだけで救われるし、絶対に身勝手な態度を取ってはいけないと思う。
いつも冷静でありたい。

それから最後の通学定期を購入し、H ZETT Mのライブへ行く。
実際に見る、聴くということがこんなに気持ちの良いことなんだ、と思った。
何というか、音の振動や空気感を実際に感じることって素晴らしい体験だ。
それから毎回思うけれど、同じものを見て何らかの感情、多くの場合が共感できる感情、それを抱いているという会場の一体感。
それは文芸フェスでも同じこと。


3/03/2013

失恋したって号泣しないのに

年に2回、定期的に開かれている異業種交流会みたいな感じの飲み会があった。
それが終わったあと、なんだか涙が止まらなくて、歩きながら泣いていたけれどどうすることもできなくて、駅へゆかずただひとりで神田川に向かって泣いていた。
ぽろぽろ涙をこぼすっていうのではなく、声を上げて泣いてしまった。
そんなことって自宅以外でないし、このところ自宅でも泣いていない。

3/01/2013

Facing The Sense Of Loss

I have a lot of things to enjoy on this weekend. For example, TOKYOLITFEST, the concert of H ZETT M, going to a beauty salon, and a party.
I have had a sense of loss caused by some kinds of heart breaking, so I will fells great sense of loss after all events are over.
If I feel it in any case, it is better to enjoy everything thoroughly.

2/26/2013

2013/02/26 散歩晴れ

映画「奇跡」のDVDを見た。
くるりが音楽をやっている映画だということしか知らず、誰が監督で誰が出演しているのかもなんにも知らずに見たけれど、とても好きな雰囲気だった。
カメラワークというか、世界の切り取り方とか。
音楽がくるりなのはやっぱり良くて、くるりを借りてきた妹は偉いと思う。

地元の駅ビルにお買い物に行って、ああ私はここで暮らすんだ、東京じゃなくてもだいたいのものは手に入る、チュチュアンナやLOFTはないけれど、と思って寂しくなる。
ただ寂しいんじゃなくて、なんにもできないわけじゃないからきっとだんだん慣れるんでしょっていう寂しさ。
白玉粉を買ってきてすぐ白玉を作る。

他大学の方の研究のアンケートに答えながら、先週新しく借りてきたCymbalsの「Mr.Noone Special」CDをコンポで聴いていたら、良すぎてドキッとした。
とても良かったので、次に新しいアルバムを借りるのは3か月くらいあとにしたい。
と思ったけれど、今調べたたら一番家から近いレンタルCDショップにはCymbalsはあまりないみたいなので、仕方ないから大学の近くのTSUTAYAにある分は、在学中に借りてしまおうと思う。
たぶん、私が聴いてないので大学の近くのTSUTAYAにあるのは「Love You」だけなのだけれど。
南波志帆とかピロウズとかエレカシとか川本真琴とかコレクターズの曲をカバーしたアルバムとかhiro:nとかTHE HIATUSとか、借りたいのはたくさんあるけれど、一度に借りても聴かないで終わっちゃうから、3か月ごとくらいに借りたい。

二・二六事件って日付が事件の名前になっているから日にちが注目されるだけで、本当は大政奉還とかの方が大事件だよねと思う。
だけど、事件の名前が日付ではないから10月14日とか15日に大政奉還の話題が出ることはほとんどない。


私が作る親子丼はいつも甘い。

2013/02/25 振り逃げセーフ

午前中はいろいろやらなきゃならなかったことを片付ける。
高校生が書いた、明治時代の小説の続編を読んで、もっと私も勉強しなきゃ、短歌とか詠んでる場合じゃない、でも歌ももっと読まなきゃ、日記こそ書いている場合じゃないわ、とかいろいろ考える。
~しなきゃっていうより~したいっていう思いが強いから良い。

お昼を食べたのにとてもおなかが空いてしまったから、14時頃から夕食のカレーとサラダを作り始める。
自分でごはんを作っているとだんだん空腹の怪獣を鎮められることに気づく。
私は摂食障害になったことはないけれど、過食の人は自分でごはんを作ればだんだん治ってくるのではないだろうか。
テレビとかではお弁当とかコンビニのパンとかスイーツとかを大量に買ってきて食べて吐いているイメージだけれど。
何でか大量に野菜とか肉とか買ってきている感じがしない。
鍋いっぱいプリン作って食べたりしないのだろうか。
たぶん私が摂食障害になったら作ると思う。
たくさん食べたくなるとつい、大量におじや作ったりするもの。
でも食べない。

ラジオで聴いた花澤香菜の新しいアルバム、買わないけど聴きたいと思った。
声優さんだから勝手に敬遠していた。
でも本当のアニメファンには受けがあまり良くないのではないかと少し思ってしまった。
私は連続して10話とか見られないからそんなにアニメを見る方ではないけれど、その中でも好きなアニメってただのおしゃれアニメって言われてあまり人気がないものが多い(といっても「フリクリ」と「峰不二子という女」)し、花澤香菜のアルバムもおしゃれで可愛くてちょっと格好良くて綺麗なイメージ。
ちゃんと聴いてないからわからないし、声優さんが好きな人はきっと声が好きなのだからそんなの関係ないのかもしれないし、なにより、もし渋谷系っぽいのが花澤さんのイメージに合っているなら人気になるのだろう。

それからアルバイト。
頭の中でずっとCymbalsの新しく借りたアルバムの1曲目が流れていた。
今日はCymbalsを1回、久しぶりの東京事変を3回くらい聴いていたから、東京事変の方が流れそうなものなのに。
ともかく東京事変はやっぱり聴くところがたくさんあってとても良い。
いわゆる捨て曲がないっていうのではなくて、1曲の中でバンドの演奏の上から下まで、歌の右から左まで全部は聞き尽くせない感じ。
私はそんなに音楽を聴くための耳が良い方ではないから、完全に好みの問題ではあるけれど、そこまで聴く曲ってあまりない。

大学の進路報告が上手くいっていたなかったようなので再度入力する。

すぐ「どうでもいいや」って言っちゃうけれど、本当は大部分がどうでも良くなくて、かえって執着していることが多いのだから気をつけたい。

今日はTwitterやりすぎた。

2/25/2013

浦沢直樹『MONSTER』

浦沢直樹の『MONSTER』を読んだ。
全部で18巻あるうち、9巻までは通院している病院にあって読んでいたけれど、残りは借りてきて一気にまとめて読んでしまった。

好きな人ができたとか言うと結構な確率で「三次元?」って聞かれる私だけれど、二次元に恋したことなんて3回しかなくて、二次元の初恋はブラック・ジャックだったくらいだから強くて優しい医者が出てくる話というのはとても私の好みだった。
ちなみにほか2回は、はやみねかおるの怪盗クイーンとダイアナ・ウィン・ジョーンズのクレストマンシー。

テンマ先生以外にも、喧嘩が強い優しい人が出てくるのは良かったし、優しさを語りすぎないところなんかも良い。
ニナが「弁護士になります!」って言ったところでなぜか涙が出てきちゃった。
大風呂敷広げすぎとか聞くけれど、私は伏線が全部回収されなくても良いし、こういう話は好きだ。

2/24/2013

2013/02/23 再会

小学校の頃に転校した友人と11年ぶりに会う。

その友人は高校を卒業してすぐ卒業したから、社会人としては私より4年先輩で、就職したばかりのころどうだったかとか、3年目でやっと慣れてきたって言えるようになったとか、いろいろ教えてくれた。
失敗できるのは新人のうちだけだから、今のうちにいろいろやっておかないといけないこととか。
自分はやっぱり子どもだなあと思う。

帰りの電車を待っていたら隣のホームにSLが到着したからケータイのカメラで写真を撮る。

友人はmixiを毎日見ているというので、数ヶ月ぶりにmixiにログインして、帰りの電車の中からmixiで日記を更新してみようと思ったが、日記の公開設定も写真のアップロードも上手くゆかなくて断念する。
最近、Facebookもログインしていない。
Facebookは特定の人のポストを見ることや、その人からブロックされていないか確認することが怖くて最近ログインできない。

2/22/2013

2013/02/22 服装が行動を規定する

時間がなかったので昨日、旅行に持っていったそんなに大きくないリュックサックから少しものを出してそのまま持っていった。
普段、リュックサックを使わないから変な感覚。
東北でリュックサックを背負っていても何とも感じなかったのに、東京では自分がカメラ首から下げて黒縁メガネしてる森ガールっぽい格好の女の子になったような気分になって、歩き方までそんな感じになる。

カフェで打ち合わせする。

それからTSUTAYAで「奇跡」のDVDと、Cymbalsの「Do You Believe In Magic?」が入っているアルバムと、浦沢直樹の「MONSTER」の10~最終巻、同じ作者の「二十世紀少年」の1巻を借りて帰る。

それからアルバイト。

H ZETT Mの「ダイキライ」が好きだ。
PVも好き。
デュエットしているhiro:nさんが気になる。

服装が行動を規定する

同じ格好で東北旅行してた昨日は何にも思わなかったけれど、リュックしょって東京へ行ったらなんとなく歩き方も行動もサブカル女子っぽくなってしまうから、大学にリュックで通学してなくてよかったと思った。
サブカルがいけないとか女子がいけないとかではなく、サブカル女子とは蔑称だと思っているから。
赤いコートに黒いブーツ、茶のワンピースっていう格好は普段と変わらず、ただ手提げバッグを持たずにリュックをしょっているだけなのに。

本日がどのくらいサブカル女子っぽいかというと、カフェで2時間くらい先輩とご飯食べながらしゃべって(会議だけど)、マツキヨ行って、TSUTAYAでDVDを1枚、ほかの人にとってはそうではないけど私にとっては失恋の歌のアルバムを1枚、浦沢直樹のマンガを10冊借りて、電車の中で読書しながら帰ってバイトに行くくらい。

2/21/2013

2013/02/21 傷心旅行にしては鮮やか

旅館のあるところは一晩中、雪が降っていたようで真っ白だったが、街の中心部は晴れていて、そこから30分くらいかけて行った海沿いの景勝地も快晴だった。
非常に風が冷たく、手足の指先が凍って崩れてしまいそうだったし、もし独りだったら途中で諦めてしまいそうなくらいの寒さではあった。
それでもとても楽しめたし、1000年以上前から素晴らしい景色だといわれているものを、同じように素晴らしいと思うその感覚が現代にも継承されているってすごいことだと思う。

お寺に行ったり遊覧船に乗ったり、運良く乗り物の乗り継ぎが上手くいったのでゆったり観光できた。
恋みくじを引いたら、叶わないと思っている今の恋を諦めないでというようなことが書いてあって柄にもなく真剣に受け取ってしまった自分にドキッとした。

帰りの新幹線を待つ間に、台湾旅行のガイドブックを購入する。
友人と一緒に立ち読みした本の著者のプロフィールが友人の前の恋人を思い出させるものだったことに気づいてしまったけれどお互いに何も言わない。
新幹線の中にある通販の冊子が面白すぎて笑いをこらえるのが大変だった。

それにしてもこうやって、大学1年生のころからお世話になっている友人と一緒に旅行できて、本当に良かった。
その人と旅行に行けたっていうだけでも素晴らしいのに、ずっと行きたいと思っていた場所に行けてこんなに幸せで良いのだろうかと思う。
とにかく感謝したい。

帰宅してから、例の数千ビューが見込まれるちゃんとしたブログの記事を仕上げる。
23時を過ぎてしまったので、下書きに保存して明日の朝、送信することにする。
「うたらば」を送っていただいたのが届いていたので、あとでゆっくり見たい。

今まであまりごはんが食べられない日が続いていたが、今回の旅行でかえって食べ過ぎになり気味なのでまた適度に食べるように気をつけてゆきたいと思う。
温めた豆乳を飲んでまた舌をやけどする。

2/20/2013

2013/02/19 秘密結社でもなんでも作るわよ

初めての出勤日だった。
ああ、ただもう私はこの職場にご縁があったんだ、がんばろう、しっかり勉強しておこうって素直に思う。

それからパスポートを受け取ったり、謝恩会の費用を入金したりする。
台湾旅行のためのパスポートが16,000円で台湾旅行がホテルと航空券とツアー代含めて25,000円というのはなんだかおかしくなってしまう。
10年のパスポートだからまだまだ旅行に行く機会はあるし、お仕事で海外に行くことも数年以内に必ずあるから良いんだけど。

ユーミンの「真珠のピアス」の歌のことを妹に説明していて、ユーミンってやっぱり素晴らしい詩人だと実感する。
相変わらず私は歌詞にあまり注目していなくて、曲の雰囲気とか演奏とかで全体的に好きになることが多いからあまり考えたことがなかった。

家でお仕事の方のブログの記事を書いたり、自分のブログの記事を書いたりする。
後者はいくらでも書けるのに、前者はなかなか書けないので、前者も自分のブログみたいな文体で適当に書いてから、しっかりしたテンションの高いお姉さんキャラの文章に直した。
わりと上手くいったのではないかと思っている。

今日は土岐麻子さんのラジオを聴けたし、そこでくるりが流れたのも良かった。
ラジオで聴くのと自分で持っている音楽を聴くのとでは同じはずなのに、ラジオで聴けると余計に嬉しい。

だんだん車の運転が上手くなってきたとは思う。
そういうのが油断につながるし、誰かが助手席に乗っていないときに運転した距離なんて数メートルだから、仮免中の人より酷いっていうのはわかってる。

夜、バンド(と呼んで良いかわからないけれど私は断固としてバンドと言いたい)の練習をして、飽きるまで歌う。
ショルキー使いこなしたい。

この前の日曜日の朝のNHKの番組で毎週録画しているものがあってそれを見たいけど、見てしまったらなんだか全て終わってしまう感じがして暇だし見たいのに見てない。
全て終わるっていうか全てどうでも良くなるような虚無感に襲われる感じ、あると思っていたものがないことに気づく感じ、その瞬間の寂しさって耐えがたいから。
その番組を教えてくれた人も少しくらいは私のことを思い出してほしいし私と同じような寂しさを少しだけ感じてほしいけど、そんなの傲慢だし、本当に国交断絶なら私のことは思い出さないでほしい。
いっそのこと綺麗に忘れてほしい。
ほんとは忘れてほしくないけど。
涙が出てくる。

本日はドーナツやブラウニーや生ショコラケーキを食べてしまって、明らかに糖分と脂肪分過多だった。

2/19/2013

京都のかわいいおみやげ 長久堂の「鳰の浮巣」

京都駅でバラ売りされていた葛湯が超かわいい。
小さな紙の箱に入っているのもかわいいし、お湯を入れると鳥が浮かび上がってくるのもかわいい。
かわいいしおいしいし完璧。

パッケージを捨ててしまったからわからなくなってしまったが、調べた限りだと、たぶん長久堂の「鳰の浮巣」というものだと思う。
鳩(はと)だと思っていたけど、鳰(にお)っていう鳥のつがいらしい。
写真が綺麗に撮れなかったけどほんとはかわいい。


京都駅の「匠味」っていうお店で和菓子がバラで買える。
京都は何度も行っているのに、友人が教えてくれなかったら全然知らないままだった。

1つずつ買えるからついついたくさん買いたくなっちゃうんだけれど、それはそれとして、この葛湯は善哉と抹茶と普通の葛湯(これには鳰は入っていない)の3種類あって、それぞれ数個ずつ買って帰った。
最近会った人たちにあげたから、楽しんでもらえると良いなあと思う。
上品だし、手軽だし、もっと買えば良かった。

2/18/2013

2013/02/18 変圧器はありません

家で谷崎を読んだり、寺山展の感想をまとめたりする。

お仕事のブログの記事を書いていたはずなのに、写真のデータを整理したり、音楽のデータを整理したり、手に取れない別のものの諸々の整理が始まっている。

お昼は親子丼みたいな材料で作る別のものを作って、やっぱり親子丼の方が美味しかったなと思いながら食べる。
家族はおいしいって言うから、このことは口には出さない。
そして口に出した時点で「親子丼に煮ているけど親子丼より美味しくない何か」になってしまったと思うからこらえて良かったと思う。

再三、催促のメールが来ていた進路報告を大学の学生用サイトで行う。
ついでに友人が参加しているコンペティションにも投票する。

アルバイトではいま、新しい人たちが多く入って繁忙期だが、以前のホテルのアルバイトに比べれば10分の1くらいの忙しさとストレスだと思う。
アルバイトへ行くときは天気雨が降っていたが、帰りは本格的な雨だった。

昨日まで身心ともににもめちゃくちゃ落ち込んでいたけれどだんだん元気になってきた。

世田谷文学館 「帰ってきた寺山修司」展

世田谷文学館の「帰ってきた寺山修司」展に行ってきた。
昨年あたりから寺山に縁があったのでぜひ行きたいと思っていた。

「去年くらいまで寺山修司って何の人が知らなかった!」と誰かに言たようにも思うけれど、このブログの記事で「田園に死す」について2年くらい前に書いたから、少なくとも去年まで知らなかったってことはないことに気付いた。
何でそんな前の記事を覚えているかというと、このブログのアクセス数がダントツで多いのがその記事だから。
「田園に死す 迷彩」とかで検索してこのブログにたどり着くようだが、読むような価値のあることは書いていないので悪いなあと思う。

1年だろうと3年だろうと大して変わらないとしても、最近、寺山を知ったことには間違いなくて、高校生くらいのときに出会っていたらその言葉の鋭さにハマった、というか心酔しただろうと思った。
死後なおそうなんだから、当時の家出少年少女が教祖と仰いだというのも納得できる。
私の場合は家で少女あるいは出家(したくない)少女だったけど。

寺山の歌って、どうして強い言葉強い言葉強い言葉強い言葉なのに嫌みがないのだろう。
思いが強くて言葉が強い歌は冷めちゃうと思っているけれど、寺山の場合はそれがない。
大前提として、作歌の姿勢として「完璧に格好良い気取り」があるから、読者が変に斜に構えず歌に向き合えるのだろうか。

文学館では試験の答案(の裏面に書かれた詩)まで展示されていた。
それから高校生の頃の寺山の俳句が掲載された雑誌とか。
寺山の俳句が佳作だったときに一席だった人は、その後の寺山の活躍を知ってどう思っているんだろう。

寺山が出した手紙もたくさん展示されていて、すべてをじっくり見ようとしたら2時間以上はかかってしまったと思う。
それから宛名の人物がどんな人なのか知ってからまた見たらもっと面白いだろうなと思った。
今回は、手紙をあまりじっくり見られなかったので、できればまた行きたい。

館内で放送されている映像の中で九條今日子さんの「大量の蔵書がしまえるアパートを借りた」というのを借りて、誰かが、「寺山は書を捨てよと言ったが、寺山の文学(?)は多くの読書経験に裏打ちされている」みたいなことを書いていたのを思い出した。
というか九條映子さんと九條今日子さんって同一人物だったんだ。

子ども向けの解説もあったところや、空いていてじっくり見られたところもとても良い。
最寄り駅の芦花公園駅には京王線の各駅停車に乗らないといけないのだが、そこまで本数が多くないので注意。

世田谷文学館 HP http://www.setabun.or.jp/


2/17/2013

2013/02/17 酸欠楽しい楽しくない

午前中は世田谷文学館の寺山修司展に行く。
京王線の乗り場を間違え、結構なタイムロスをする。
世田谷文学館の最寄り駅の芦花公園は各停の電車しか止まらないのに、別のホームでまっていた。
寺山についていろいろ考えることができる場だったし、混んでなかったのも良かった。

それからブックオフで本を売る。
思っていた以上にかなり高く買い取ってもらえた。
試験関連の雑誌も売ったが、その雑誌がブックオフで売られてたとして、誰が買うんだろうと思う。

それから友人とカラオケに行く。
2人で6時間は下手な運動よりも体力を使った。
そんなにハイペースで歌ったわけでもないが、しゃべっていた時間の長さも大したことなかったから、かなりがんばったと思う。
そこでがんばらなくても良いけど、ちょっとしたストイックさが必要ではあった。
本気で遊ぶっていうのはなかなかできないから良いことだ。
今日は十二分に歌った。
もうしばらくカラオケは行かなくていいやっていうくらい歌ったのに、家に帰ってきてお風呂とかで気付くと歌っているというのは、歌が好きっていうより癖なんだろうと思う。

今日は「Highway Star, Speed Star」が入っていたから、おととい一緒にカラオケに行った友人に今度報告する。
「Everyday、カチューシャ」の古語訳も良かった。
古語の方の歌詞見ないで歌えるようになりたい。
ポップスには聴くのが好きな歌と歌うのが好きな歌と聴くのも歌うのも好きな歌があると思っているけど、AKBとか乃木坂とかはとくに原曲を聴きたいとは思わないけど歌いたくなる歌だ。
あとAKBとかはPVが可愛いから歌いたいっていうのもある。
あんまりごはんを食べないのにドリンクバーのジュースばっかり飲んで、摂取している栄養分がほぼ糖だから本当に体に良くないなと思うけれど、何も摂らないよりはましなんじゃないかと思っている。

とにかくこのところ友人に救ってもらってばかりいる。
今日、カラオケ行かなかったら、結局、世田谷文学館も行かず、本も売らず、きっと家でぐったりしていた。
友人の素晴らしさをSNSで書くと往々にして「このリア充がっ!」みたいになりがちだと思うけど、こうやって遊びに行けるなんて以前の私から見たら奇跡みたいなことだから、こういうことを軽視しないで書いておきたいし、茶化されるのも嫌だなあと思う。

そのあとSkypeで会議を少しする。
この会議とは全然関係ないのに気持ちが不安定になったりしてかなり迷惑をかけたので申し訳なさすぎる。
大人なんだからそういうのは切り替えたい。

そういえば今日のカラオケのお金は、ブックオフで受け取ったお金と同じくらいだった。

Twitterで言いたいこといっぱいあるのになんとなく書いては消しっていう感じの毎日が続いているから、ついつい、こちらの日記が長くなってしまう。
本当はお仕事(お金をもらっているわけではないけれど)で書かないといけないブログの記事があっていつの間にか締め切り間近になってしまってそちらを書かないといけないんだけど、いかんせん、幼稚園のお姉さん先生みたいなテンションで書く気力がなくて。
この記事が低体温で35度だとしたらそちらは37度5分くらいの体温を目指したいし、この記事を見ている人が1~2名いるかどうかっていうところなのに対して、後者の記事を見る人は少なく見積もっても数千名なのでなんとかテンション上げて良い記事書きたい。

2/16/2013

2013/02/16 テレビをつけて

午前中はやっぱり体調が思わしくないように感じたのでずっと本を読んでいた。
『なぜ国語を学ぶのか』をじっくり読んだ。
そのあと、売るよりはあげた方が良いからとくれた自己啓発本を10分くらいで読む。
やっぱり私には自己啓発本は早い。
素直になれないからかもしれないし、知ったかぶっちゃうからかもしれない。
Booklogのレビューを見たらなかなか人気で高評価だったから、ある人にとっては大切な本になりうるんだろう。
読んだら売って良いよといわれたから売らせてもらうことにする。

昼食を作るけどほとんど食べきれず、捨てる。
家族は食べてくれたから作ったこと自体は無駄ではない。

家族のギターをBGMに、昨年の「ジョン・レノン スーパーライブ」の録画を見る。 
杏が出ていてびっくりした。
そういえば深津絵里も好きだけど杏もわりと好きだ。

そのほかいろいろ録り溜めていたテレビを見た。
だいたい録画しただけで見ないことが多い。
考えてみれば定期的に録ってる番組の中で、NHK短歌と、今日の料理ビギナーズと、グレーテルのかまどくらいしかちゃんと見ない。
グレーテルのかまどは録画ではなく土曜日の放送を見てしまうことも多いから、結局録画は見ない場合が多いけど、これを録画しているのは妹だから消しはしない。
10min.現代文とか10min.生活指導とか、10.min日本史とか、ヒストリアとかいろいろ毎回録画するけどだいたい見ない。 
Jブンガクも録ってるだけで見てないな。
そのほか英語関連の番組はよく録ってたけどほぼ見ないから録画するのをやめた。
定期的に自動で録るから見ないわけで、毎回、手動で録るか録らないか決めて録画すればほぼ見ると思う。
花鳥風月堂とからららクラシックとかは、見たいときだけ録画するから消化できてるし。


NHKが別段好きだっていうわけじゃないけど、ジャンルで番組表を検索して面白そうだと思うのがだいたいNHKだから。
単発の番組だったら民放でもたまに面白そうなのはある。
あとドラマの「ゴーイング・マイ・ホーム」は全部とってあってちゃんと見たいと思っている。
結局、5話くらいまでしか見終わっていないけれど。
あと、テレビで映画を放送しているのもよく録画するけど、ほとんど見ないであとでまとめて消すことが多くて、何度も見ているのは「キラー・バージンロード」くらい。
こんなに見ていないのが多いなら録画しなきゃ良いんだけれど、予約するときはすっごく見たいと思って録画するわけだから録画をやめるのもどうなんだろうと思ってやめられない。
私は高校生くらいまでテレビを見ることを軽んじていたから、その反動でたくさん見ようとしてしまうのかも。

今日は洗濯物を仕舞う以外、完全に家の中にいた。
寒い日だったから正解だと思うけど、運転の練習もしたかったし、TSUTAYAにも行きたかった。

DOLL(SCANDAL )をカラオケで歌う

DOLL(SCANDAL )

「恋する乙女は美しいという証明できない現実」のイ音が歌っていて楽しい。

カラオケだと「私なにも知らないわけじゃないのよ あたりまえじゃん」のところ、

私なにも知らない(改行)
わけじゃないのよ(改行)
あたりまえじゃん

と出るので、「私なにも知らない」で切れて「わけじゃないのよ」「あたりまえじゃん」と被せてくることになり、この曲に合ってる。
歌っている人だけが気にするところではあるけど。

2013/02/15 今日は何の日カレンダー

大学の生協で出資金の返還手続きをし、出資金の半分くらいを使って卒業写真を予約する。
それから大学図書館で今まで借りていた本をすべて返し、予約していた本も取り消して、少し勉強する。
徐々に、大学から離れる準備をしているんだと思うと寂しいはずだけれど、それは今の切なさの比ではない。

JRの駅に戻って友人と待ち合わせし、カラオケに行く。
私が強引にお願いした。
このカラオケがなかったら、来週の旅行まで、どうやって生きれば良いか分からないくらい心身ともに(おもに身体的にだけど)落ち込んでいたので大変ありがたい。
来週の準備出勤が心の支え、なんて耐えられなかった。

友人は歌が上手なのでとても良い。
私は本当に音楽サークルに入っていたのかっていうくらい、今日はあり得ないくらい下手だったんだけど、友人が上手なので下手でちょうど良いかと思える。
同じような曲が好きな人はやっぱり同じような曲を聴くんだなと思う。
一緒に行った友人がCymbalsを知っていたことに驚いて、それならもっと早くCymbalsを教えてもらえば良かったと思った。

ジョイサウンドはCymbalsの「Highway Star, Speed Star」を入れるべきだし、東京事変がいまだにDVDボックスとか出そうとしているのにはうんざりだということで一致したと思われる。

友人がキチガイな歌を歌っていたのも良かった。
友人が気を遣って、私を刺激しないような歌ばかり歌ってくれたなら申し訳ないけれど。
私もアニソンとか覚えたい。

そのあとアルバイト。
酒焼けみたいな声で小さい子の相手をするのはどうかと思うけど、幼稚園児以上が相手だと、どうしてもお母さんが子どもをあやすときみたいな、あの独特の話し方ができない。
しかも声低いから怒っていると思われてるかも。

私のいないところで私のことを好きだって言ってくれる女の子から手作りチョコをいただいて嬉しい。
本当は今日は、私は出勤日ではなかったから、もともと私に渡すつもりで持ってきたわけではないとしても。

今、どちらかというとなぜかハイ。

2/15/2013

2/14/2013

バレンタインデーの贈り物は手作りすべきか否か

結局、今年もだれにもチョコレート渡せなかったから、日頃から思っていることを言いますけど、バレンタインデーにチョコを買う女の子の方が"お買い得"だと思う。

なぜなら、ああいうデパ地下の綺麗なチョコを買えるのはこのバレンタインデーの期間だけで、いつでも買えるわけではない。
一方、手作りチョコに関して言えば、そんなの作ろうと思えばいつでも作れるんだし、手作りのものなんかいつでも渡せる。
つまり、チョコを買う女はお菓子が作れる女で、チョコを作る女はこの時期にだけお菓子作りをする女だということである。
あと、手作りだったらある程度何でも良いか、得意なもので良いかと思えるし、コストもかからないのだけれど、ちょっと良いチョコを買うとなると選ぶのにめちゃくちゃ時間がかかるんだよね。
私が優柔不断でセンスに自信がないからかもしれないけれど。

たしかに、手作りのものをもらったら嬉しいかもしれないけれど、それなら普段から手作りの何かをあげましょうよと言いたい。
手作りならチョコにこだわらなくても良いじゃない。

誰にも渡してないって書いたけど、父親には六花亭のチョコレート渡したんだった。

2013/02/14 松崎は自分で

家を出たのに歩いている途中で腹痛が再発し、ミーティングに出られなかった。
悔しい。
ここで家族以外の人と会えることが救いのひとつだったのに。
京都のお土産も配りたかった。


2013/02/13 映画を見るか寝てるかしかしてない

体調が悪くて10時くらいまで寝ている。

昼に思い立って映画を見に行く。
ずっと見たいと思っていて、卒論があったりして見ることができなかった「のぼうの城」を見てきた。
たぶん、地元の映画館が一番最後までこの映画を上映しているんだと思う。
ラッキーだった。
ここ1年くらい私は可愛い女の人の声が好きなのだけれど、この映画のエンディングのエレカシが非常に良いなと思った。

一昨日あたりからほとんどごはんを食べられないということもあり、また夜7時くらいに力尽きて寝た。
よく映画を見に行く体力があったなあと思う。

失恋のショックから寝込んでいるわけですが

結構面白いことがあって誰かに話したいと思ったときに、一番そのことに興味を持ってくれそうな人が思い浮かんで、でもその人はもう会うこともないし、連絡も取ってくれるなと言われたんだった、と気づいて不意に悲しくなるときの絶望感は耐えがたい。


2/04/2013

旅行・合宿の持ち物リスト

合宿や旅行の持ち物。
いつも手帳にチェックリストを作るのに、毎回どこに書いたかわからなくなって結局新しく作り直すので、今回はここにメモ。


◆必須


下着
ガム
お金
Suica
メモ帳
ケータイ
寝癖直し
歯ブラシ
ハンカチ
チケット等
ティッシュ
ビニール袋
化粧落とし
ICレコーダー
靴下/タイツ
眼鏡・眼鏡ケース
ケータイの充電器
普段の化粧ポーチ
洗い流さないトリートメント
薬(バファリン・胃薬・正露丸)
コンタクトレンズのケース・保存液/使い捨てコンタクトレンズ

◆任意


乳液
おやつ
カメラ
ブラシ
化粧水
洗顔料
パジャマ
マスカラ
生理用品
タコ足配線
アイシャドウ
折りたたみ傘
ガイドブック
虫除けスプレー
ハンドクリーム
くるくるドライヤー
カメラの予備の電池
ケータイの予備の電池
シャンプー・トリートメント

◆海外旅行

パスポート
トラベラーズチェック

恋と人生

「Love Is Blind」の"Love"を"Life"に変えても意味が通じる、私にはしっくりくる、と椎名林檎が「下克上エクスタシー」のDVDの中で言っていた。
恋こそが人生ということなのか、恋のみならず人生もまた盲目ということなのか。

1/27/2013

2013/01/25 ラスト2

午前中はもぐっている授業の試験が始まるぎりぎりにこっそり抜けて、お弁当を食べてから神保町へ行く。
4年ぶりの書道道具屋さんで美しくて可愛い和紙の便箋を購入してから古本屋を巡る。
東京メトロで大学から数駅なのに、なんでもっと来なかったのだろうと後悔する気持ちも一瞬よぎったが、それなりにたくさん授業をとっていて、その分課題も多かったから致し方ないと思う。

他学部の読書室で、立教大の入試問題を解く。

今日がいよいよがんばって通った大学生活最後の授業であると思っていたら、来週も授業があることを知って嬉しくなる。
あるべき大学生として延命されたような、余命3ヶ月と言われていたのに3ヶ月目の今日、まだ生きていることを嬉しく思うような気持ち。

気づいたら半分寝ながらCymbalsの「Air Guiter」のディクテーションをしていた。
ただ聴いてただけなのに。

1/23/2013

2013/01/22 命懸けない

新しい軽自動車で着物屋さんへ行き、卒業式に借りる袴を選ぶ。
初めは緑の袴が良いなあと思っていたけれど、実際、赤い振袖と合わせると緑はぼんやりした印象になってしまったように思うので、結局、ありがちではあるが紺の袴にした。
そこでどちらを選んだにしても、個性の差なんて五十歩百歩だし。

車はだんだん運転できるようになってきた。
ただ、車庫入れは2台分のスペースがないとできないから、まだまだ独りきりで乗るのは心もとない。
免許を取って4年目とは思えない。

ピアノでショパンのノクターンOp.9-2がだいたい弾けるようになってきた。
今年の課題曲を自分で勝手に「テネシーワルツ」に決めた矢先に、その歌を代表曲にされている方がなくなった今年の年明けだった。

今日は割とよくお菓子や料理を作った日だった。

最近、肩こりのせいか頭痛が続いているので、早く寝ることに命を懸けよう、と思った。
今日も早く寝るはずだったのに、院生の方のアンケートにだらだら答えて、それからこの日記を書きながら寝てしまって(朝起きたら消えてたから正確には書いていたのはこの日記の下書きのようなものになる)、結局、朝もそれほど早く起きられなかった。
毎日、朝起きられないことへの無念さから1日が始まるのはあまり良い気分ではない。
「命懸ける」というと小学生のようだが、小学生は命を懸けなくても早く就寝できるので、やっぱり大人の考えなのだろう。