9/17/2011

Thailand 2011

9月12~15日、3泊4日でタイへ旅行した。
バンクーバーに短期留学したときに、バンコクからの留学生ととても仲良くしてもらって、それからずっとタイへ行きたいと思ってた。
あと、スパイシーなタイ料理が大好きだから。

大学で同じクラスの友達と2人で行った。
彼女が以前、タイ語が書かれているTシャツを着ていたから声をかけて、一緒に行くことになった。
友達と旅行に行くのも、個人的に海外旅行へ行くのも初めてだからドキドキだった。

1日目は香港で乗り換え、バンコクの空港へ。
夕方ホテルに着いたら、タイ人の友達がホテルまで迎えに来てくれて一緒に夕食を食べた。
タイ人の友達は18人いて、今は授業期間だから、2、3人会えれば良いと思っていたのに、ほとんどの子が集まってくれてびっくりした。
それだけでも十分嬉しいのに、素敵なお土産を持たせてくれたり、ご飯をおごってくれたり、行った方が良いところを紹介してくれたり。
滞在中、みんなにお世話になりすぎでなんだか申し訳ないけれど、日本に来てくれたとき、何かお返しができたら良いな。

2日目は、日本人の友達とバンコクの観光。
王宮や寺院郡の方を回るツアーに参加しようと思ったら、申し込めず、半ば無理矢理自分たちで行くことにした。
電車や水上バス、渡し船を乗り継いで暁の寺(ワット・アルン)へ。
水上バスのあたりにたどり着くまでは、実際、友達と気まずくなっていた感が否めなかったけれど、2人とも、両岸に寺院を臨むチャオプラヤ川を水上バスで走っていたときの感動は同じだったみたいだ。
私は熱心な仏教徒ではないけれど、王宮周辺は、本当に壮観だった。
一番楽しみにしていた暁の寺は、外側から登って上へ行けるものの、ほぼ垂直と言っても良いくらいの階段で、かなりの人が登るのを諦めたみたいだった。
私は登らずにはいられないかったから登ったけれど、それほど怖いとは思わなかった。
そのあと、水上バスでまた駅へ戻ろうと思ったら運休で、迷って何度も渡し船に乗って行ったり来たりしたあと、仕方なく路線バスに乗ることに。
バスは予想外だったけれど、案外、バンコクのいろいろなところを見ながらのんびり目的地へ行けたので、とても良い経験だった。
そのあと、友達のお母さんの知り合いの方に会いに行き、ここでもおいしいタイ料理をおごってもらう。
夜は、前日にタイの子がホテルのマネージャーに頼んでくれたおかげで、とても良い席で、タイの文化を紹介するショーを見ることができた。
ゾウがステージに登場したり、人工の雨が降ったり、演出もとても凝っていてすごく面白かった。

3日目はタイ人の友達と、そのご両親に、郊外の方へ連れて行ってもらった。
バンクーバーに一緒に留学していた早稲田の子も偶然、同じときにタイに来ていて、その子も一緒に観光する。
水上マーケットや、王様の別荘やビーチへ連れて行ってもらって、それから現地の人しか知らないような、ココナッツのお菓子やフルーツを食べさせてもらったり、至れり尽くせりだった。
その後、ほかのタイ人の友達と合流してショッピングモールでごはん。
スーパーでは美味しいお土産を紹介してもらったり、すすめられたものを買わないと友達が買って食べさせてくれたり。

4日目は朝早く空港へ行き、また香港で乗り換えて、ちょうど夜中の12時ごろに帰宅した。

毎日、濃密で楽しくて、お世話になった方々に、本当に心から感謝したい。
普段、辛いこともいろいろあるけれど、こういうすごく良い日がたまにあるんだから、無意味に落ち込まず、落ち着いて頑張って行きたいと思える旅だった。

旅行の英語は大丈夫そうだけれど、やっぱり、英語ができないせいでタイ人の友達と上手くコミュニケーションが取れなくて、すごく悔しかった。
あと、タイでは意外に英語が使えないし、タイ語をちゃんと勉強してから行ったらもっと面白かったと思う。
日本よりはよっぽど、英語とタイ語の併記が多かったのは助かった。

たしかに危険なシチュエーションは日本に比べて多いと思うけれど、ご飯は美味しいし、景色もすばらしいし、またタイに行きたいな。
屋台のものを食べても大丈夫なくらい長く滞在したい。

5/22/2011

東京国立博物館 「手塚治虫のブッダ展」

東京国立博物館「手塚治虫のブッダ展」を見に行く。

当時の人々が、仏像を美しいと思って見ていたかはわからないけれど、確かに私にとって仏像は美しい。

それが美しいという感情ではないとしても、心を打つ何かは強力なものがあるのだろう。

2/02/2011

森美術館 「小谷元彦展 幽体の知覚」

森美術館の「小谷元彦展 幽体の知覚」を見て考えたこと。


□考えたこと:全体□

・小さい子は、骸骨や血液をひどく怖がる場合が多い。それはなぜなんだろう。

・真っ白いオブジェだけの部屋は異空間に行ったよう。

・余裕を持った作品の配置になっていて、スペースが広々しているところが多く、ゆったりできる。

・滝の映像の中に入れる作品は、床が鏡張りになっていた。ショートパンツで行って正解。

・映像を使うことで、自然さえも粘土のように自由に造形できるという考えは私にとって目新しかった。

・現代アートはメッセージ性が強くて、しかもそれを解説なしに理解できることはなかなかない。生と死、性、貧困、生命の危機に瀕する動物・自然、自己と他者など。だから、たまに見に行くくらいがちょうど良いなと思う。


□考えたこと:「Rompers」 2003□

何となく不気味な幼児番組風の映像作品。

明るいのにうすら寒くなるようなハミングのBGM。

女の子の眉毛が不自然に盛り上がっているところがまず目に入り、女の子の手足の指先がただれたようになっているところも何となく不安な気持ちにさせる。

木の割れ目がくちびるのようになっていて、そこからよだれが溢れ出る。

女の子の下着が見えそうなところ、そこをわざわざ映すところも不穏。


□そのほかの特に印象に残った作品□

・人間の髪で作ったドレス

・波に流されるタイプの拷問器具

・小谷氏の血液の混ざったシャボン玉

・小谷氏がジェイソンに扮した映像作品。彫刻を殺人に見立てる。

1/15/2011

感じ方が突然に変化すること

たとえば、CDをかけてJ-POPSの音楽を聴くとき、何度も同じ音を聴いているはずなのに、突然、その曲の感じ方が変化することがある。
歌詞が直接、体の中に流れ込んできたり、特定のギターの音が頭の奥を震わせるような感覚になることがある。
その音楽を失いたくない、自分の中に吸収してしまいたいと思って悲しくなる。


同じように、何度も会ったことのある人の場合も、突然、その人のある発言や行動、仕草、表情に、強く心が動かされることがある。
その刺激で、瞬く間に、その人のことをどうしようもなく好きなる。
それは必ずしも、恋愛であるとは限らなくて、尊敬や愛しさであることもよくある。

1/02/2011

SNSと年賀状

父親は、「年賀状のやりとりが続いていれば、20年以上会っていなくても、何となくつながりが途切れない」と言った。

今なら、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)でより簡単に「つながっている感」を持つことができる。
Facebookやmixiで<友達>になっていれば、近況を手軽に知ることができる。
Twitterでフォローしていれば、自動的に、その人のリアルタイムの情報を自動的に得ることができ、場合によっては、毎日顔を合わせるがフォローしていない人より、何年も会っていないがフォローしている人の方が身近に感じることもあるだろう。

その「つながっている感」は、現代的な緩くて不確かなネガティブなものであるととらえていた。
しかし、実は、形態が変化しただけで、以前からあったものなのだろうということに気づかされた。