3/30/2014

夢が夢でも張る予防線

自分のmixi日記を本の形に印刷してみて、ですます調だったりだである調だったり、内容も多方面に向けて書いているのでめちゃくちゃでとにかく愛嬌をふりまいて予防線を張っていて酷い。
それでもところどころ自分の今の文章や考え方と似通っているところがあるのが気持ち悪いし愛おしいし、それを愛おしいって思う気持ちも気持ち悪いけれど好きだ。



今でこそmixiは(おそらく)年齢制限もなく誰でも登録でき、mixi内のページが検索にも引っかかるオープンなものになったが、私が大学1年生のころ、大学に入学したころはmixiに登録するためには既にmixiに入会している友人に「招待」してもらわなければならなかった。

中学・高校とあまり人と関わらないように、深く関わって自分が傷つくことのないようにと思いながら生活して、でも大学ではなるべく人に協力しよう、つながるということに、と思ったから登録することにした。まだ眼鏡を掛けていて、アイラインを引く人は信用できないと思っていて、服だって母に選んでもらっていた私でもそのくらいは考えた。

それで、大学のクラスのリーダー的存在の上野くんに招待してもらって、それから毎日のようにmixiをチェックして、自分のことがどこかに書かれていないか、直接的にも間接的にも、どこかに自分が登場しているのではないかと探した。自分が日記を書いたりだれかの日記にコメントをしたりしたら、そこに返信がないかどうか、逐一パソコンを開いて確認した。それほど執着していたのに、あるとき、そうはいっても特別なきっかけがあったわけではないと思うけれど、私はぱったりとmixiを見るのをやめた。各方面に愛嬌をふりまきながら書く日記にも愛想が尽き始めたといえばまだ聞こえが良いが、単に、飽きてしまっただけなのだろうと思う。

3/27/2014

執着とは愛することであり憎むこと

恋人とは別れることにした。
好きでも嫌いでもない人とはやっぱり付き合えない。
別れたら私はめちゃくちゃになってしまうのではないかと思っていたがそんなことはなく、驚くくらい何とも思わない。
ずっと会えなくなるということを惜しいと思えなくて、だからやはり別れることにして良かったと思う。
この先誰にも恋せず、結婚できなかったら今のことを後悔するのだろうと思うけれど致し方ない。
だって本当に、好きだという気持ちを持てないのだから。

3/24/2014

心が羽みたい

私を愛してくれる恋人と別れることに決めたのに、全然悲しくもなく、悔しくもない私は薄情なのだろうか。
自分が心変わりしたことを寂しくは思うけれど、それは好きだった本や何かを嫌いになってしまうこと、その事柄自体を寂しく思うのと同じことだから、恋人との別れを寂しく思っているのとは違う。

これからずっと会えなくてもいいし、たぶん会ったとしてもそんなに気まずくはない。
お互いに好きだったはずなのに、それだけのつながりだったのだと思うと、それもまた寂しい。

私にとって彼は、たまに会って懐かしむのにはちょうど良いかもしれないけれど、恋人としてずっとつながっていることには耐えられない人だったのかもしれない。

このところ、いつもいつも、朝、歩きながら恋人といてもあまり楽しくも安心もしなくなってしまったことについて考えていた。
だからそれがなくなったおかげで心が軽くて良い気分だ。

3/17/2014

プレーンでフラットな恋人

恋人と1ヶ月ぶりに会った。
それまでは週に1度くらいのペースで会っていたのに、彼の仕事の都合でなかなか平日に会えなくなってからはずっと会っていなかった。

趣味が合わないっていうだけでなく、彼には特別に好きなものがあんまりないんだなって思った。
たぶん、ただ心穏やかに暮らせればいいんだと思う。
それが普通、世間一般の人で、私の身の回りには自分自身も含めてなにかに執着する人が多いだけなのかもしれない。
それでも私はそういう「執着」が好きなのに、彼は全然そういうのがなくて、はっきり言って話すことがないしつまらない。
話すことがないって珍しいことで、別に楽しくないから一緒に時間を共有するのが面白くない。
楽しくもないけれど苦痛っていうわけでもない。

別れたくないかもしれないという気持ちはある。
私を愛してくれているんだなあというのはとても感じるし、私が好きなものを好きになろうとしてくれているんだろうなというのもわかる。
私が求めているのは、私が好きなものを同じように好きになってくれる人じゃなくて、趣味があってベースに共通のものがあって、それで楽しい話ができて、お互いの知らないものを知ってより楽しいなって思える人だけれど、それが恋人である必要はなくて、友人のなかにはそういう人が何人かいるのだからそういうことができる人を恋人に持つことなんてないってわかっているけれど。

それから、私が心を開けるというのは特別なことなのかもしれないなとも思う。
でもそれで、心を開いてなんでもかんでも言ってしまうし、それで私は自分がとてもわがままでクズみたいな人間なんだって実感する。
今まで、自分自身は「わがまま」や「クズ」ということばとは無縁だと思いこんでいたのに。

今の私の心は車のギアでいうところのニュートラルの位置にあって、好きだと思えば好きだし、嫌いだと思えば嫌いだ。
少しでも別れたくないって思うなら別れない方がもちろん良いのだと思うけれど、別れたいとも思うし、率直に言えば、傷つけたいとも思っている。

一方で私は、自分の孤独が共有されそうになったらその人を嫌いになるのかもしれないから、このくらい執着がない人と付き合うのが合っているのかもしれないとも思う。
求めているものを手に入れようとして、それが実際に手に入ったら手放したくなって、一生ひとりなのかもしれなくて、だから私は自分が孤独だっていうことを認識して「地獄の水」を飲むようなことばかりしていてはいけない。

ともかくもう自分からメールするのはやめる。
こんなところで宣言しないといけないのは、やっぱり別れたくないのかもしれないけれど。

私はまだ子どもだから、極彩色の世界でめちゃくちゃに暴れ続けることに憧れている。

カフェビーンズ

 
 
北与野の書楽のところにある「カフェビーンズ」というところでワッフルのランチプレートを食べた。
2時半頃に行ったので空いており、ラップトップやポータブルテレビを持ち込んでいる人までいた。
新都心はこの時間でもどこも混んでいる。
味は特別美味しいというわけではなく値段相応かなと思ったけれど、サラダの量が多く、全体的にも意外とおなかがいっぱいになる量だった。
デザートとドリンクがセットで、ホットペッパーのクーポンを使って640円は私にはお得だった。
ドリンクが多くの種類の中から選べるのも良い。
また行きたいというわけではないが、新都心や北与野周辺で時間をつぶすには良いお店だと思う。

カフェビーンズ (Cafe Bean's)[食べログ]
http://s.tabelog.com/saitama/A1101/A110101/11004384/

3/14/2014

誕生日まで死にません

勤務校の卒業式だった。
舞台の袖で、自分のこの1年のことを思って涙ぐんだ。

卒業式まで死にません、南条あやの著書を思って4月にそう言った私は、結局、6月の誕生日の日を最後に出勤できなくなって仕事を辞めた。
秋に別の学校で働くことになり、そこで私は、前の仕事を辞めたというより、クビになったんだって気づいた。

でもこうして、入学式をした学校と卒業式をした学校は別でも、最後には帳尻を合わせて3学年の学年付きの教員として卒業式を迎えることができた。
私は本当に本当に、本当によくがんばったと思うし、それ以上に今の学校の先生方にお世話になって肯定していただいたことで、諦めることなく続けられたのだと思う。

あと2週間油断はできないし、次の4月からまた環境が変わるから、心穏やかにいられるかは分からない。
でも、ともかく次の1年はまず誕生日までつつがなくやりたい。

3/11/2014

付き合うより別れる方が難しいと知って大人になった

恋人と別れるかどうか迷っている。

私の今の恋人は私と正反対で、高所恐怖症で、辛いものが食べられなくて、保守的で、率直に言って刺激がない。
言っていることはいつも正論で、ソフトなタイプの自己啓発書みたいにきれいだと思う。
それは安心できるとも言えるのかもしれないし、結婚するなら最高なタイプだと思うけれど、それでも私は自分の友人と遊んだときのような突き抜けるような昂揚感を求めてしまう。
刺激がほしいなんて本当に子どもみたいだけれど。

話し方、ことばの選び方もちょっと嫌だなと感じる。
それは恋人だから意識しすぎてしまうのかもしれないけれど。
一人称が私の前では「自分」っていうのも気に入らない。
今まで本当に好きになった人たちはその話し方や声がぞくぞくするくらい好みで、思い返すだけで興奮するのに。

趣味だってかすりもしない。
私は好きなものを愛することでできているのに、私の恋人にはあまり好きなものがないみたい。
プレーンっていうことばが一番よく似合う。
私は好きな人の好きなものを好きになるのが得意だし、それもまた私の好きなことだけれど、それほど愛しているものはないようだからつまらない。

でもたぶん別れたら後悔すると思うし、べつにほかに好きなひとがいるっていうわけでもない。
でもでも、迷うくらいならこのまま付き合っていても相手に失礼だし、いずれは別れることになるんだから早く別れた方が良いのだろう、とも思う。

最初は本当に好きだった。
ちょうど恋人がほしいと思った頃にふたりきりで会うようになって、だからとりあえず付き合ったのだと思うようになるときが来るとしたらそれは間違いだ。
本当に好きで、でもどうしたらいいか分からなくて友人に相談したりして、上手くいって付き合うようになって、そのときは私たちふたりが恋人じゃなかったら世の中の全てが嘘だよねって思ったのに。
今だって恋人のことを傷つけたいなんて思っていない。
挫折を味わわせたいとは思ってしまうことがあるけれど。

こうやって恋人の嫌なところを書き記すことだってあんまり良くないことで、それは私の恋人が言いそうなこと。
でも誰にも言えないし、いつもいつも、朝2km歩いている間じゅう、こういうことを考えているもの辛い。

ホラー映画

ホラー映画って、人が恐怖を感じるというその感覚のスイッチを直接押さないといけないから、作るのがとても難しいだろうと考える。

3/10/2014

2013/3/10 勉強に目覚める

車で出勤するかどうするか少しだけ迷って、いつも通り電車で行くことにする。

朝、今日が友人の誕生日であることに気づいて急いでLINEのメッセージを送った。
もう小学5年生の頃からお誕生日を祝っているから10年以上になる。

職場では体調が悪い人がいつもより多く、なるべくそういう人と話をしないようにしたいと思った。

帰りがけにドラッグストアで買い物をする。
職場から駅へと歩く途中にあるドラッグストアだった。
途中下車して大学時代からポイントを貯めているマツキヨへ行くのが良いか、今日はポイント2倍のウエルシアへ行くのが良いかと迷ったが、来年度も同じところで働けることが決まったということもあり、ここのドラッグストアのポイントを貯めることにした。

このところ、ようやく勉強に弾みがついてきて、一方、恋人のことはやっぱりつまらない、けれども川越へ行って遊んだのは小旅行みたいで楽しかったななんて考える。

とても久しぶりにオンライン英会話をする。
夜9時に10時からの回を予約したかったので、自分がブックマークしている先生のなかにはあいている方がおらず、プロフィールも見ずに適当な新しい先生を予約した。
それでも今日は発音も直してくれる熱心な先生だったので運が良かった。

ピチカート・ファイヴの「誘惑について」を良い曲だなと気づく。

3/04/2014

続・こじらせ女子

磁石の中間: 好きなものについて考えることとこじらせ女子: 好きなものについて考えるとき、 それを好きじゃない人の視点を持ち込んだらきりがないし落ち込む しかないから、そんなのないふりをするのが良い。 でも、部外者の視点、とくに批判者の視点を無視できないで自ら苦しんでいるのがいわゆる「こじらせ女子」だと思っている。 たとえばCan...


以前、「こじらせ女子」ということばについての記事を書いた。
それからしばらくして、「こじらせ女子」とはつまり、他者の視点を内面化して苦しむということであると考えた。
中島敦の『山月記』に登場する李徴と同じで、他の人の視点を内面化し、勝手に気に病んでいるということで、それは一見良識があるように思えるけれどそうなのだろうか。

「別れようと思ったこと、あるの」

死にたいと思ったことあるって聞くのと同じくらいのカジュアルさで私と別れようと思ったことあるって聞きたくなっちゃうし、それを聞いてどうするの、私は別れようと思ったことあるよ、どうして、って考えてどうにもならないから自分を嫌う。

ことばに興味がない人はつまらないし、ことばに執着する人はことばへの思いと同じくらい自意識が強いし。

astigmatism stigmatism

astigmatism 乱視

stigmatism 正視

なくなればいいのに

大多数の人がそれに(しぶしぶながらも)賛同しているものに対して、「〜なんてなくなればいいのに」って言っている人たちに、あなたがなくなるほうがずっと簡単ですよ、と教えてさしあげたいけど、まあさすがの私でもそこまではしない。