9/24/2013

2013/09/24 寂しさ

この3連休はお彼岸で祖父母の家や祖母が入所している施設に行ったり、友人と本屋さんへ行ったり、また別の久しぶりに会う友人と甘いものを食べに行ったりして、この上なく愛にあふれた幸せな時間を過ごした。
その反動なのかなんなのか分からないけれどとにかくもの寂しい。

仕事では私がお茶菓子を買う当番で、お茶菓子が職員の気に入らなかったらしく、それが私を寂しくさせる一つの要因ではあるのだけれど、そんなくだらないことが自分の気持ちを落ち込ませていること、大学時代の同級生なんかはもっともっと大変な思いをしているのだろうと想像することになおさら寂しくなる。

あと短歌を詠む気になれないのが寂しい。

ビーズでドレスを作ったりしてそういう自分の時間は十分持つことができるのに寂しくてたまらない。

でも一つの救いは、怒りや憂鬱はもうどうすることもできなくて持て余してしまうけれど、寂しさはただ静かにそれが過ぎ去るのを待つことができるということである。

9/09/2013

嫌いな言葉

もったいない

あざとい

良くも悪くも

2013/09/08 遡及

一昨日、コンビニで教員免許をコピーした際に持って帰るのを忘れたことに昨日の夜中に気付き、なかなか入眠できなかった。
朝、コンビニに取りに行って、教員免許を忘れたと言ってもなかなかわからないだろうから(教員免許は運転免許証のようなものではないのである)「A4の薄ピンク色の厚紙2枚を忘れてしまったのですが」と言ったら、店長のような方に「非常に大切なものですね」と言って渡される。
教員免許も紛失せず、店員さんも親切な方でほっとした。

2年ぶりに会った同じ高校の先輩とお昼を食べ、それから出身高校の付属中の文化祭へ行き、高校の頃の恩師に挨拶に行く。
その先生は非常勤の先生だったのだけれど、私が退職してからハガキやメールをくださって、本当に強くサポートしてくださっていたので、絶対にすぐに会いたいと思っていた。

それから高校の文化祭へ行き、教育実習でお世話になった先生や担任の先生に会う。
実習のクラスの生徒にも声を掛けてもらえて嬉しかった。

当然といえば当然だけれど、先生方はみな、私が仕事を辞めたことを肯定して励ましてくださり、再び教員を目指すということも応援してくださった。
私が勤務してた高校から私の母校へ移った先生もいらしてそういう先生のお話を事前にうかがっておくべきだった、いくら忙しかったとしても、と後悔した。

先輩が以前と同様に、そして私以上に文学を愛していて安心した。
もうしばらく会っていなかったから、文学なんて意味のないものだという考えに変わってしまっていたらどうしようかと思っていたから。
それから、先輩とも文通できることになりまた一つ楽しみが増えた。

先輩と話す中で、今と昔の美意識が異なるのに昔の人が美しいと感じた月を今の人も美しいと感じること、手紙はペンや便箋を選ぶところからはじまること、そういったことが私とまったく同じ考えだということがわかり、余計に嬉しくなる。
先輩と会うと、たとえばグラスは両手で持って飲んだり、そういった所作なんか美しくしなければならないと思うし、また一段と美しくなっていてそういう努力を怠ってはいけないと思う。

高校から帰る途中に先輩とケーキを食べて、また文学のことをたくさんお話しした。
文化祭へは独りでちょっと行こうと思っていたけれど、最初に述べた、非常勤だった先生にとてもお世話になったという先輩を誘うことでき、本当に良かったと思う。

それから別の友人とお酒を飲む。
どこへ行っても結婚の話は避けれないなあと思う。

Skype英会話を夜の11時にやったけれど、こちらのWiFiの調子が悪いらしく(今も悪いのでこの記事が自動保存されたりされなかったりする)、上手く行かなかった。
今日は英会話は休もうと思ったけれど、存外早く帰宅できたから、やっぱりやることにしたわけなので、そういうときもあるということがわかっただけで良し。