6/28/2013

2013/06/27 中華スープ

午前中は鬱病日記を整理していた。

お昼ごはんはおかずクレープ。
ポテトサラダなんかを包むと美味しいと思う。

エンデの『だれでもない庭』を読み終わった。

ある特定の友人をテーマにした短歌を作ってみた。
公開するわけではないけれど。

なんだか昨日から絶望的な寂しさに襲われることが多々あるので、久しぶりに薬を飲んで寝る。
やっぱり毎日、今ある薬が終わるまでは飲み続けようと思う。

6/27/2013

2013/06/26 平穏

新しいアルバイトの面接に行ってきた。

それからお昼を食べて、どこかに出かけようと思ったが、雨が降っていたのと車を運転して駐車するのが面倒になり、家にいることにする。

アーモンドクッキーを作った。
焼くのは明日。

夕食はガパオライスを作る。
オイスターソースって意外と便利だなと思う。

インターネットで印刷の注文をした写真をアルバムに入れて整理する。
写真は印刷するのが好きだ。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 07

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

6月上旬の、退職するように命じられてから自宅療養していた期間。
今後再発することがないとすれば、ここまでが本当に病んでいた期間で、これ以降は多少、心身に不安はあってもどんどん回復していった。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 06

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

6月上旬の欠勤をしていた4日間について。
ほとんど眠っていた。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 05

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

5月下旬から6月上旬。
ちょうど最後の出勤日まで。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 04

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

5月中旬から下旬。


13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 03

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

5月の初めから中旬。

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 02

前後は「2か月で仕事を辞めるまで」のラベルから読むことができます。

4月中旬から下旬。

6/26/2013

13卒新社会人の私が2か月で仕事を辞めるまで 01

新卒である私立高校の専任教員をしていた私が、入職2か月で鬱病になって仕事を辞めるまでを述べる。
6月の始め、一気に悪くなって出勤できなくなり、職務規定から休職ができないということだったので退職せざるを得なくなったのであると思っていたが、自分の日記などを見る限り、その兆候は大いに見られていたようである。

2013/06/25 肯定

病院へ再検査の結果を聞きにいく。
今日は自分で運転して行った。
何にも異常はなく、まだ先週の採血跡があざになっているのは消えないけれど、ともかく良かった。

図書館で川端康成の「末期の眼」(青学の入試問題に使われてた)や三島由紀夫の自伝的文章を読む。
TSUTAYAとスーパーへ行く。
こういうところへ行くのは久しぶりで、強い意志のない人には無職という職業すら重荷になるだろうなと感じる。

それから自分のここ3ヶ月間の動向をまとめる。
明らかに病気になってもおかしくない生活をしていたし、どうみても精神を病んでいるし(日記やTwitterからだけでそれを判断することはできないけれど、今の状態なら考えないようなことを平気で書いている)、改めて仕事を辞めて、書類上は退職で実質的にはクビだけれど、それはとても良いことだったと思う。

ケークサレを初めて作った。

お夕飯を作ってから、フリッパーズギターのアルバムを聴きながら教職教養の勉強をする

6/20/2013

他人の感想 自分の感想

ある物事に対する他人の評価を鵜呑みにして自分のものであるかのように思い込んではいけないということ。

かなり前の久保木先生のツイートより。

たとえば、新聞で見て興味を持った本のブックレビューをネットで見たら非常に評価が低かったとき、そこでやっぱり読むのをやめようと思うことはよくあると思うけれど、それって人の評価のみによって自分の興味の対象を自分から引き離してしまうことになる。
結局、読んでみたら本当は面白いかもしれないのに。

これって読んだ後にブックレビューを見て、それを自分の感想だと錯覚してしまうことにも当てはまると思う。
(そこまで久保木先生がおっしゃっていたかどうかは忘れてしまった。)
ぼんやり持っていた自分の感想が、結局、他人の感想をなんとなく混ぜ合わせたものになって、それが自分が抱いた感想だと思ってしまうことがあるけれど、それは自分というものをなくしてしまうのと同じように思う。

その音楽を好きであるということだけが大切である

音楽の聴き方って、ひとによって違うのだと思う。

たとえば、私は椎名林檎が好きだけど「椎名林檎の歌詞って何言ってるかぜんぜんわかんない」っていうようなことを言われることも多い。

そういう人はJ-POPというのは歌詞を聴くものだと思っているからなのだろうと思う。
自分の気持ちを言語化してくれるものとしての歌詞であり、それこそが曲の核なのだろう。

たとえばもう一つ、カラオケでaikoの「愛の病」を歌って「いいよね。泣けるよね」と返されても、いまいちピンと来なかったりする。

一方、私はJ-POPの歌詞は声という楽器が演奏しているパートだと思っているみたいだ。
全く歌詞を無視しているというわけでもなくて、音楽を聴いていてたまに歌詞を気に留めたり、歌詞カードを見たり、それからカラオケで歌って正しい歌詞を初めて知ったりして、改めてこの人って素晴らしい詩人だなと思ったりすることはある。

いろいろな聴き方があるからこそ、いろいろな音楽が流行るのであるし、音楽を発信する側としても、歌詞でメッセージを伝えるためにその付属品として、つまり詞のみで多くの人に伝えることは難しいからキャッチーなメロディーをつけている人もいれば、歌詞・メロディー・アレンジ、またデザインやプロモーションも含めた総合的な表現としての音楽を発信したいと考えている人もいるのだろう。
だから、歌詞のみを聴くのは素人でそれ以外の部分も聴くのは玄人とか、後者が偉いとか思いがちだけれど、本当はそんなことは全くなくて、好きであるということだけが大切である、そういうことを忘れないようにしたい。

6/10/2013

退職について

仕事を辞めることになった。
ばかなのか短気なのかメンヘラなのかなんだかわからず、いざ辞めるとなるとやっぱり入社2か月で辞めるなんてばかでしょう、甘ちゃんでしょうとしか思えないのですが、数日前のTwitterの投稿や自分の日記を見返すとやはり辞めるか死ぬかしか選択肢がないようなことばかり書いているのでそれほど追い詰められていたというのは嘘ではなかったのだと思う。
実際、心身の調子が悪くて仕事に行けなかったというのはどうしようもないことであるし。
どこまでが事実で、どこまでが自分を正当化しようとしているのか自分でも判断がつかず、それによって苦しい思いをし、その身勝手さに嫌気がさす。
周りの人たちに大変迷惑をかけ、どうすることもできず、外に出られるかもわからず、誰にも相談できず、自分の判断を人任せにしようとする自分が不甲斐なくてこの先、生きてゆけるのか不安になる。