12/25/2013

「かぐや姫の物語」についての覚え書き(内容についての記述あり)

今年1年、1ヶ月に2本ずつくらいは映画館で映画を見たと思うが、「かぐや姫の物語」は今年一番と言って良いくらい好きな映画だった。
映像がきれいなところ、ストーリー展開や音楽も全体的に好きで、細かな部分もとても私の好きであるということにぴったり当てはまった。

音楽で一番気になったのは、子どものかぐや姫が歌っていたその歌声の切れ方だった。

かぐや姫の言う、「生きている手応え」は私が最初の仕事を辞めて死んだようになりそこから回復したあとに実感したものの一つだった。
かぐや姫はそれを山で暮らすことや本当に自分自身を愛し愛されることで感じられるもの、都の上辺だけが美しい暮らしでは感じられないものとしていた。
私にとっての「生きている手応え」というのは、かぐや姫のように上辺の暮らしによって失われたわけではないけれど、自分だけでなく人々を愛することで得られるもので、死んだように生きることと、生きているという実感を持ちながら生きることは、おなじ「生きる」ということばで表現されても、まったく違うことなのであると思った。

ツバメの巣にある小安貝を取りに行く貴公子のエピソードは、「かいなし」というだじゃれを用いることなく、実際には死という悲惨な状況をおもしろおかしいシーンにしているというところが、かえって上手くもとの物語を翻案していると思った。
当時は「かいなし」というのは駄洒落ではなく気の利いたことば遊びだったと思うし、そういう感情の面のみを生かすという方法を取っているのがとてもおしゃれだ。

たとえば、『源氏物語』の空蝉を思わせるかぐや姫のそぶりというような古典を踏襲して、それをないがしろにはしていないところ、個を大切にするという現代的なところ、それがどちらも生かされていて、また絵もストーリーもとても丁寧に描かれているのが非常に良かった。

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