3/30/2014

夢が夢でも張る予防線

自分のmixi日記を本の形に印刷してみて、ですます調だったりだである調だったり、内容も多方面に向けて書いているのでめちゃくちゃでとにかく愛嬌をふりまいて予防線を張っていて酷い。
それでもところどころ自分の今の文章や考え方と似通っているところがあるのが気持ち悪いし愛おしいし、それを愛おしいって思う気持ちも気持ち悪いけれど好きだ。



今でこそmixiは(おそらく)年齢制限もなく誰でも登録でき、mixi内のページが検索にも引っかかるオープンなものになったが、私が大学1年生のころ、大学に入学したころはmixiに登録するためには既にmixiに入会している友人に「招待」してもらわなければならなかった。

中学・高校とあまり人と関わらないように、深く関わって自分が傷つくことのないようにと思いながら生活して、でも大学ではなるべく人に協力しよう、つながるということに、と思ったから登録することにした。まだ眼鏡を掛けていて、アイラインを引く人は信用できないと思っていて、服だって母に選んでもらっていた私でもそのくらいは考えた。

それで、大学のクラスのリーダー的存在の上野くんに招待してもらって、それから毎日のようにmixiをチェックして、自分のことがどこかに書かれていないか、直接的にも間接的にも、どこかに自分が登場しているのではないかと探した。自分が日記を書いたりだれかの日記にコメントをしたりしたら、そこに返信がないかどうか、逐一パソコンを開いて確認した。それほど執着していたのに、あるとき、そうはいっても特別なきっかけがあったわけではないと思うけれど、私はぱったりとmixiを見るのをやめた。各方面に愛嬌をふりまきながら書く日記にも愛想が尽き始めたといえばまだ聞こえが良いが、単に、飽きてしまっただけなのだろうと思う。

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