2/18/2013

世田谷文学館 「帰ってきた寺山修司」展

世田谷文学館の「帰ってきた寺山修司」展に行ってきた。
昨年あたりから寺山に縁があったのでぜひ行きたいと思っていた。

「去年くらいまで寺山修司って何の人が知らなかった!」と誰かに言たようにも思うけれど、このブログの記事で「田園に死す」について2年くらい前に書いたから、少なくとも去年まで知らなかったってことはないことに気付いた。
何でそんな前の記事を覚えているかというと、このブログのアクセス数がダントツで多いのがその記事だから。
「田園に死す 迷彩」とかで検索してこのブログにたどり着くようだが、読むような価値のあることは書いていないので悪いなあと思う。

1年だろうと3年だろうと大して変わらないとしても、最近、寺山を知ったことには間違いなくて、高校生くらいのときに出会っていたらその言葉の鋭さにハマった、というか心酔しただろうと思った。
死後なおそうなんだから、当時の家出少年少女が教祖と仰いだというのも納得できる。
私の場合は家で少女あるいは出家(したくない)少女だったけど。

寺山の歌って、どうして強い言葉強い言葉強い言葉強い言葉なのに嫌みがないのだろう。
思いが強くて言葉が強い歌は冷めちゃうと思っているけれど、寺山の場合はそれがない。
大前提として、作歌の姿勢として「完璧に格好良い気取り」があるから、読者が変に斜に構えず歌に向き合えるのだろうか。

文学館では試験の答案(の裏面に書かれた詩)まで展示されていた。
それから高校生の頃の寺山の俳句が掲載された雑誌とか。
寺山の俳句が佳作だったときに一席だった人は、その後の寺山の活躍を知ってどう思っているんだろう。

寺山が出した手紙もたくさん展示されていて、すべてをじっくり見ようとしたら2時間以上はかかってしまったと思う。
それから宛名の人物がどんな人なのか知ってからまた見たらもっと面白いだろうなと思った。
今回は、手紙をあまりじっくり見られなかったので、できればまた行きたい。

館内で放送されている映像の中で九條今日子さんの「大量の蔵書がしまえるアパートを借りた」というのを借りて、誰かが、「寺山は書を捨てよと言ったが、寺山の文学(?)は多くの読書経験に裏打ちされている」みたいなことを書いていたのを思い出した。
というか九條映子さんと九條今日子さんって同一人物だったんだ。

子ども向けの解説もあったところや、空いていてじっくり見られたところもとても良い。
最寄り駅の芦花公園駅には京王線の各駅停車に乗らないといけないのだが、そこまで本数が多くないので注意。

世田谷文学館 HP http://www.setabun.or.jp/



萩原朔美さんとか横尾忠則氏とか、天井桟敷のポスターに名前が見られて、深く関わっていた方なんだと改めて思った。
館内で流れている映像の中には萩原朔美さんの若い頃の写真も出ていた。
それにしても萩原朔美さんは朔太郎によく似ている。

アングラ演劇で立ち見が出るほどの大盛況というのを知って違和感を覚えた。
社会は人々によって作られるもので、反社会的なもの、あるいは社会からはみ出たものを社会の多くの人が好きだとしたら、それは反社会的ではなくなってしまうのではないか。
江戸時代の見世物小屋、庶民からは好まれていたけれど、ということを考えるとこれって的外れな議論かもしれない。
このへんちょっとよくわからない。

あと野田英樹の「エッグ」、もう一度見返したいと漠然と考えた。

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