3/25/2012

横浜美術館 「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」

横浜美術館の「松井冬子展 世界中の子と友達になれる」を見てきた。
会期終了ぎりぎりだったので、とても混雑しているのではないかと思ったけれど、雨だったせいもあってか人出もそれほどでもなかった。
ドガ展なんかと違って、時間さえあればもっとひとつひとつの絵をじっくり見られたと思う。

展覧会公式HP
http://www.yaf.or.jp/yma/jiu/2011/matsuifuyuko/



私が気になったのは、「腑分け」の脊椎の絵。
金属を入れてまで永らえたい人間というもの。

あと、「九相図」の最後の、頭蓋骨と背骨だけの絵も、なんだかじっと見てしまった。


若い人が好きそうな絵が多かった。
グロテスクといえばそうだけれども、清浄な絵だと思った。

下絵というかミニサイズのデッサンとか構想とか、習作も展示されていた。
制作過程にはあまり興味がないので、下絵の展示のコーナーはぱーっと見ただけだったけれど、どんな絵にしたいのか、下絵にイメージを言葉で書いているのは面白いと思った。
絵が完成品なのだから、イメージを絵で加えて行けば良いと思うんだけれど、それを「言葉で整理して書く」ということは、絵画はメッセージを伝えるための地と角道具であるということで、必ずしも絵画によって表現しなければいけないわけではないのかもしれない。

松井冬子に限らないけれど、売るために描くというのはどういうことなんだろう。
ミュージシャンだったら、自分で作った歌を自分で歌うことで、多くの人にメッセージを伝え、買ってもらえる。
でも、絵画というのは同じ絵を多くの人が買うことができないし、かといって一枚しかない絵そのものを自分の手元に全て残しておくわけにもいかない。
売る絵というのは、何のために描くのだろう。

以下は感想でも何でもなく、椎名林檎が好きな私がただ思ったこと。
松井冬子の絵は、椎名林檎の特に3枚目のアルバム「加爾基 精液 栗ノ花」(KSK)によく合いそう、と一瞬感じたけれど、やっぱりそうではなく、松井冬子の絵は日本画が現代に、時の流れを吸収しながらそのまま連綿と存在し続けてきた結果のように思った。
椎名林檎の場合は、洋楽の流れからの日本のポピュラー音楽。

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